nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

日本に来て良かった

2017年7月初旬、日本に来て良かったの言葉で終わる書籍の校正を終え、少し古い急須を棚から取り出して茶をいれた。この急須の年の離れた兄弟は世界を旅していると言うのだから、何とも面白く思える。選んだのは恩師の作った茶。
 
最初の原稿を読んだのは6月の中頃だった。これは手強いと苦笑いしながらプリントアウトした頁を繰っていったのを思い出す。
  
諦めない事、前を向く事、真摯である事、情熱を常に、人との出会い、別れ、きっと誰の日常にもある出来事なのだろう。彼が特別なわけでものない事を読んだ人は気がつくのだと思う。
  
私の立ち位置は少々異なる。自らの信じる茶は日本茶のカフェのメニューに成り得ると信じ、いれ方、見せ方などを含めて組み上げ、それが東京の和カフェで採用されたのがこの物語の始まりだった。

「お茶に熱心な若い衆だなあ。俺のお茶は好みじゃないだろうけど、見においで。」と笑顔で声をかけてくれた生産家。神様の名前が付けられた深蒸し茶、生産家の人柄、産地のロケーションは自らの狭隘な性根を打ち壊すには十分だった。出会ってからの4年間は本当に楽しくてしょうがなかった。この4年があったからこそ今の自分がいるのは疑うべくもない。
 
最終原稿入稿目前、生産家の命日にまたがる日、偶さかに青い目の筆者と席を同じくし13年前の茶をいれた。今はもう無い和カフェのメニューそのままのいれ方で。
 
ひとつの茶が紡ぐ縁とは不思議なものだと染々と思う。現実は小説よりもドラマチックで面白いものなのだろう。
 
お茶とはいいものだ。味や香りだけでなく、関わる人も、世界観も全てひっくるめて。
 

満更でもない今

高校生の夏、ひと月ほど滞在した黒竜江省 哈爾浜で日本茶をいれた事がありました。

特に日本茶が好きという訳でもありませんでしたが、中国の方との交流にはお茶がいいかと思って、急須と湯飲みお茶を持って行きました。

ところが、現地でお茶をいつもの様にいれてみると味香りが乏しく、色の着いた湯にしかならずとても困惑しました。周囲の大人も理由が分からず、お茶を飲んでくださった人たちに申し訳ない気持ちになったのを思い出します。

食堂では花茶(茉莉花茶)がグラスで飲まれていて、最初は戸惑いましたが慣れるとこれはこれで食事にも合っていいなと思うようになり、帰国の際には買って帰るほどに。

日本に戻り、向こうではこんな風にとグラスに茶葉をいれて湯を注ぐと飲み物とは思えないような強い香りにびっくり。

あれから30余年、当時は考えもしなかった茶業者となり、水質が茶に与える違いの現体験はあの夏の哈爾浜だったなと振り返ります。

今、あの場に私がいたら日本茶はデリケートだから水の影響が大きいんだよ。お湯の沸かし方や葉っぱの量を工夫してみようかと話せることでしょう。
満更でもない気分です。

才能豊かな方々へ

お茶の事を仕事にしたいとのお話しをうかがう事があります。ほとんどの方たちが優しい雰囲気で、私が知るところの世代が上の茶業者諸氏とは真逆の人たちの様な印象です。後発組の私もきっとそうなのでしょう。

どの様な気持ちでお茶に関する仕事をするのかはそれぞれ違っていると思いますが、斜陽とされる業への参入は決して楽ではありません。茶販売や喫茶店などの飲食業もしかりです。

私などよりも才能豊かな方々の方が多いので心配は無用なのかとも思いますが、それでも困難なことへ挑むのだという事は重々考えておいてください。困難は実際に直面するまでは本当の意味で実感出来ないことだとしても。

クルマの運転が好きな人が全てクルマに関連した仕事をしてはいない様に、趣味としてもお茶とは関わっていけます。その範囲でも十分に学ぶことはあり、楽しいものです。私の扱う品はその様な方に向けたものも少なくありません。

お茶の事を仕事にしたいのであれば、その目的は何か。何故それをしたいのかをじっくりと考えてみてください。好きでなければ出来ないし、続けられませんが、それだけでも難しいのが現実です。

私は茶業者となった事を後悔はしていませんが、楽だなと思ったことは一度も無いです。楽しいや嬉しかったことも沢山ありますが、それは茶業に限ったことでも無いでしょう。

仕事や起業は攻めのマインドとプランで始めるもので、逃げの思考の中にはありません。
儲かりそうだで始めるものです。

君、責めることなかれ

人の無学を責めないこと。驕らないこと。

お茶に纏わる事柄を仕事として二十余年が経ちました。仕事をする上での知識取得やご縁の中での学びがあり、拙いながらも、時おり人前でお話をさせていただく機会に恵まれるようにもなりました。
勿論、努力をした部分はありますが、それにも増してそれが出来るのは皆さまのおかげと思っております。ありがとうございます。
 
自分の中の決め事として、人の無学を責めないこと。驕らないこととしています。本当にわからない事ばかりの中から茶業に関わり、多くの人から、正しいだけでなく、いい加減で間違ったことも沢山耳にして来ました。近年はインターネットの普及で個々の発信する情報を目にすることも増えました。その中には、かつて私が耳にした間違いもいっぱいです。正しさではなく、わかりやすさ、伝えやすさを優先した結果なのか、そもそも正しさなど知ったことではないのか定かではありませんけれど。
 
いつでも誰にでもといったような余裕はありませんが、催事やセミナー、商品のお買い求めの際などにはお茶のことなどお気軽にお伝えください。どんな事でも笑ったりしませんし、呆れたりもしません。
 
そして、願わくば皆さんもそうであるといいなと思います。いつか、人前で話すような立場になった時に。

 

穀雨の日に

2020年4月19日、日曜日。暦は穀雨
暦を連想することを忘れてしまうような快晴。

十余年続いていた百貨店での4月の新茶販売が災厄で無くなり常々、考えていた園地からの中継をブレケルオスカルさんと行うことが出来ました。

私の仕事の中で日常となり、当たり前の風景と思っていた茶園の様子に初めて見ましたのコメントがあったり、様々な質問が飛び交う時間ともなりました。

園地は観光の場所ではないこと、新芽は大事な換金物であることなどもお話しをして、この状況が収まったら夏の雑草取りを一緒にしましょうと伝えられたのは上出来だったと思います。

これまでも良いことがあれば、悪いこともあり、心から楽しいと思った矢先、突然に足元が崩れるようなこともありました。
禍福は糾える縄のごとし、人間万事塞翁が馬は心に刻む言葉になっています。

望むと望まざるを別に、強制的に環境が変わり、出来ていたことが出来なくなりましたが、それはその逆もあるとも思えています。
私の個人的な状況としては、注意をしているとは言え、感染の脅威を心の何処かに抱えながらの販売よりは良かったのかとも。

そして、今日は大きな雨音が響く朝です。正に穀雨を思い出したような。

植物を育て、実りを助ける雨の暦が穀雨。お茶の木にももちろん、恵みの雨です。

これからも日本茶が織り成す素晴らしい世界、楽しさを伝えていこうと思います。よろしくお願いいたします。


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話せるシゴト

品物にはストーリーが必要と言われます。
少なくとも作り手がそれを話せる必要はありません。モノ売りが話せるような仕事をしてくれればいいのです。
 
モノ売りは品物や作り手の仕事が、人に話せるような事なのかをわかるようにならなくてはいけません。

それは「商品知識」の一端であり、出来ないのであればモノ売り失格です。
軸足を決め、品物に関わりそうな情報を集め勉強するのもモノ売りの仕事のひとつです。
 
扱い品が好きなモノでなければ中々続けられません。

私がお茶と急須を売っているのはそれらや、それを取り囲む世界観が好きだからです。

年のはじめに

年のはじめに。

以前に記した事柄を書き直した内容です。派生して諸々の事を考える機会にもなっています。

外観について、製茶では美しく作ろうとするのと、よい仕事をした結果として美しくなるのでは、全く別であることが忘れられています。これはお茶の水色についても同じことが言えるでしょう。

お茶に限らず、完成品からの見た目の分かりやすいものはその形や色(香味も含む)に似せることはある意味で容易です。方法としてはいくらでも別のアプローチが考えられ、それは今に始まったことでもありません。

「この様なモノにするのなら、こうすればいいのでは。」この言葉は、ほとんどの場合、元になった品が出来た仕事より、さらに手をかけて大変な作業をしようとする時には出て来ないでしょう。

プラスチックで出来た漆器のまがい物、素材の安さを調味料で誤魔化す料理、白と赤を混ぜてこれでロゼとするワイン、着香表記の無いミント入りの紅茶などなど。作り手の便利と買う側の安いモノを欲する心が生む製品は沢山あります。

海外のワインを見れば認証だらけ、ルールだらけです。翻ってみれば規格をちゃんと決めてそれに沿わなければ守られないからというコトが背景にもあるのでしょう。

日本という国に暮らす人は世界的に見て勤勉で真面目な国民性であるように思います。モノづくりにおいても言葉やルールにせず、規格をつくることが苦手なのかも知れません。それ故に好き勝手なこともまかり通りやすい。

お茶の世界には野放図に適当な考え方や自分に都合のいい言葉が溢れかえっています。まさに滅茶苦茶と言ってもいいほどです。それぞれの立場を慮っての部分から来ることも有るようには思えますが、その根は都合のいい部分を排除して見る事をしなかったからです。作る者、売る者、買う者の皆の責任です。

その状況にモノ売りである私の立場から出来る事、一石を投じる事は何かとなれば、世の中に目利きを増やすお手伝いをする事です。
時代と共に変わる事、変えなくてはいけない事、変えてはいけない事があります。

蒸し製緑茶と急須はとてもシンプルですのでその題材としてぴったりです。
商いをする中で皆さんと共に学び、楽しく過ごす事を目標とします。何卒よしなに。

錦園 石部健太朗