nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

これからの買い物

如何にして売らないかがここ5年のテーマでした。売上を上げるのを止めるのではなく、目の前の売上を追うのではないようにです。

必要なモノを買う行為はアマゾンに敵わないことを認める。
通常の売り方で対アマゾンとした場合、地域密着の生鮮三品購買顧客のついで買いを促進出来なければ存在価値が無くなります。手間をいかにして掛けないように売買を行うかがモノ売りの目から見た表面的な図式であり、その点でアマゾンを凌駕するには、触感や空気感、臭いなどインターネットからは得られない情報をその場で伝えて購買に繋げるしかありません。
 
そして、今後、百貨店など接客販売の存在は別のものへと変わると想像しています。買い物の単純化は現実での接客体験の減少へとなって行きます。人口の過疎化が進む地方はアマゾンなどの通販に席巻されていくのでしょうが、人口密集地である首都圏は高齢者の行き先は百貨店のような場所になっていきます。
 
これまで、物々交換の道具であった「お金」がモノだけではなく、コミュニケーションの為の道具となり、買い物は必要なモノを手に入れる為のものではなく、「買い物=娯楽」になる。
買い物を娯楽と出来る商域はやはり、接客と商品点数の多い商業施設となるだろうと考えます。

ファンタジー無用

お茶や急須に限った事ではありませんが、作り手は自らの作ったものの価値や評価は出来ないのです。手間や時間などについては話せても、何を作れたのかの評価は自分では出来ない。
 
商いを通じて仕入れを行い、お客さまに品々を販売をしていくことを生業とする者は、多くの品々を見て学び、どの様なことがされて、どんな手間が掛けられているのかを知る機会があります。そして、出来不出来も含めて、品物の価値を認める目利きになる役どころを担います。大事なお金を無駄にしてしまわないように。
 
私の扱っている品は生産量が少ないため、取引先も限られているので遍くとはなりません。卸のご相談をいただいても、既に行き先があり、お応え出来ない場合がほとんどです。申し訳ありません。それであっても、私の主な仕事は裏方です。
販売の経験から顕在化はしていないけれど求められていることなどをお話しして、それぞれの商圏での展開について提案をしたりも。
取組み先も年々成長し出来る事、知識も増えていき、何年ものお付き合いをしている中で、ようやく産地ではなく、消費地だからこそ伝えられることがあると思えるようになりました。
 
聞こえのいいファンタジーなんていらないのです。伝えたことに嘘がないように。そんな品々を選んで売ること。
 
買う側だから、使う側だから伝えられることがある。品物の何が好きで、どんなところがいいのか。どうして、それを買うのか。好きの気持ちと目利きの力を重ねて。
 
売る側にも近道などなく、時間を掛けずに得られることなど僅かです。
 

お茶と急須は同じもの

2014年2月に平型急須の主力展開を始めて、概ね4年です。手づくりの品故に、大量にとはなりませんが、同コンセプトの総生産は数千個です。作り手ほか販売に携わる取り組み先、そしてお客さまのおかげです。
販売数の噂や視覚面での訴求力も相まってか、類似品も出回るようになりました。それも業界の常であり良いことです。他の方々も私たちの試みをヒントにして更に良い品を世に出していく工夫をなさってくださればと思っています。
 
作り続けることは常に最良を目指すことです。ベテランの急須職人であっても慣れない面倒な形状の急須ですが、生産と販売を繰り返し続けていく中でサイズや全体のバランスが洗練されるのを品物から感じます。
そして、正に一期一会である焼物としての美しさにも気づきます。
  
高精度の仕事と人の手が及ばない偶の結晶である急須と、高品質を目指した生産を重ねていきながらも、野趣を失わない日本茶
私の心が動き、真剣になるものの本質はどちらも同じです。
 
それらをお客さまが普通の日常で楽しめる世界をつくる手伝いが私の商いなのでしょう。
小さな商いですが、とても楽しく、やりがいのある仕事が出来ています。本当にありがたい事です。
 
f:id:kenlupus:20180624093328j:image
f:id:kenlupus:20180624093347j:image
f:id:kenlupus:20180624093400j:image
f:id:kenlupus:20180624093409j:image



お茶は正直

時折、お茶は拝見で分かるのですかとの質問があります。
 
お茶は正直なものですので、拝見をする事によってどのような原葉で、どんな事があったのかがわかるものです。
 
果汁を原料にした飲料や粉体化されたものに比べて、茶葉そのものを見る事が出来る茶はその正体を探るヒントがいっぱいあるのです。
 
勿論、わかるようになるには園地を見たり、摘採された茶葉、そして荒茶が生産される様子を知らなければなりません。茶園に行き、製茶を見れるような縁を求める手間を惜しんでは不可能です。

日本茶を学ぶ君へ

先人が後人に望む事は何か。

それは自分の見れなかったもの、行けなかった場所、出来なかった事にたどり着けるように。そして、長命であるように。

この事に尽きる。後人もいずれ必ず先人となり、知の連結は更に次の後人の役にたっていく。

先人は若さを妬まないこと。後人は霞む未来に怯まないこと。

この連鎖こそが人を不死とする。

荒唐無稽な戯言ではなく、人が学ぶ事の意味であり、真理だ。

 

好機到来

先日の常滑行きにて。

綾鷹は急須でいれたお茶を上に考えているんだなあとの会話となりました。

そして、お茶の特集本を読んで、お茶の事を色々と飾って書いているけれど、ちゃんとした急須を使っているところが少ないとも。

常滑だけでなく、茶の生産現場であっても仕事はこんな会話や交流の中にあります。時間がゆるせば茶をいれながら。

かつて、茶を介して、陶工、淹れる人、飲むことの工夫のやり取りがされていた時代がありました。文人と茶の時代であり、きっと時を遡った利休と茶もそうであったろうと確信しています。

戦後の互いに作れば売れる時代を通ってしまったが故に、その交流は途絶えてしまったように見えましたが無くなってはいません。

少なくとも私のまわりにおいては。

茶についてを少なからず知る者達と急須を作る者達の交流によって、更に次を目指して急須が生まれていく環境はより精度を上げて今に至っています。茶と急須は両輪の存在です。

何事も始まりは世界の片隅から。好きであること、情熱を燃料にして車輪は回るのです。正に好機到来。何と面白い時代なのでしょう。

スウェーデン人 オスカル ブレケルさん

北欧スウェーデンに生まれ、高校時代に日本の歴史文化に興味を持つうちに日本茶に触れ、その魅力にひかれて日本茶知りたいが為に、日本語を学び、合格率が25%の日本茶インストラクター資格を取得。
折角、就職した会社を辞してまで、茶業試験場で研修生として学んだ後に、日本茶輸出促進協議会のスピーカーとして世界を飛び回った2年間。
そして、独立して新たな歩みを踏み出した2018年半ばでの日本茶の楽しみ方を伝える書籍出版。

これは物語やフィクションでは無く事実です。

人種を越えて、茶業に関わった家業に生まれたわけでもないのに、こんなにも日本茶に向き合おうとしている人はいないのでは。

外国人が日本人に対して、日本茶のいれ方の本を書いたのはこの書籍が初めてであり、これはエポックなのでしょう。実に清々しい気分になります。

日本茶は不変ではなく、時代の流れと共に姿を変えて行きます。まだ若い氏が数十年をかけて日本茶を見つめ、その変化を文字や言葉に記して後世へと繋げていく様に私たちは接しているのです。

おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
これからの一歩は前人未踏の一歩です。その道行きが幸多きことを心から祈っています。

 

世界文化社

オスカルブレケル著

ゼロから分かる日本茶の楽しみ方

2018年6月8日発売


f:id:kenlupus:20180529095202j:image