昔ながらの幻想
昔ながらの方法に過大な期待をするのは一般の方か、広告などを仕事にしている方がイメージを利用して媒体作ってしまう場合が多いようです。
馬車から自動車、動力の人力から電化などの例を見るまでもありません。工夫と失敗の積み重ねの先に今の私たちの生活や仕事があります。
「楽に」ではなく、「もっと良い品を」。出来なかった事をやれるようにしていく。それが技術を活かすという事です。品種の導入や製茶機械に関連する様々な機器は今でしか作れない良茶の生産を可能にもしています。
マンパチ(蒸籠)の時代にはコントロール出来ないような一瞬の蒸熱や、パワフルな粗揉機の登場はそれまでには作れなかった茶の製造を可能にしました。
茶製造において製茶機械は道具であって、使うモノであり使われるモノではありません。この機械は茶葉に対して何をしているのかを理解してこそ意味が見えてきます。
ボタンの掛け違いが始まるのは楽をしてお金になる事へ偏った時なのでしょう。
これは茶に限った事でもなく、皆さんのまわりでも気づく部分がある筈です。
お茶の保管
お茶の保管に関して、茶缶はどの様なものがいいのでしょうとご質問をいただく事があります。
錫(ピューター)や銅は元より、木製、他の金属製の茶缶もあります。
見た目は良くてもダメなのはアクリルやプラスチック、ガラスなど遮光性の低いものです。これは茶袋でも同じです。
加工しやすい金属であったから作られたもの、材料として豊富であったり、流用出来る加工技術や道具があったからと考えるのが自然です。
さて、今の時代において茶の常温保管でいいのは真空断熱がされた小型のフードコンテナなどだろうと思えます。遮光性、密閉性も高く、温度変化も少ない容器だからです。
ざっと調べると値段も2000円前後ですので試されてみてはいかがでしょうか。
お茶屋としては開封後は速やかに使っていただきたいとの気持ちなのですけれど情報までに。
世界の縮図
きっと多くの人が自らのフィールドでは気づいている事と思うのですが、仕事としているからといって、その事の専門的な知識を有している訳でもない事。雇われている人であれば尚更である事。
自分のいる場所は世界を形作るもののひとつであって業態が変わっても大きくは変わりません。
例えば、生産者を含めた茶業関係者であっても茶の専門的な知識を持っているわけでは無いのが現実です。茶器問屋や販売店であっても同じです。既に出来上がった環境でのルーチンワークになっているのも理由のひとつで、儲かった時代があって出来た仕事は往々にしてそうなりがちです。
どの分野であっても、分かりたい、知りたい、もっといいモノをと思う気持ちを持ち続けない限り、専門的な知見や技術を有する者にはなれないのです。
及ばずながらと日々、学び過ごしても、向こう岸は霞んで見えないものだなと苦笑いするのが常であり、ゆえに面白いのです。
きっと何事も同じなのでしょう。
無責任の発露
この際、ハッキリさせよう。
茶に関しての品質や価値判断を美味しいや不味いといったあやふやな感覚でしか出来ない一般の消費者を巻き込み、評価をさせて商品価値を付けようとするようなイベントや試みは無責任の発露。
評価や拝見は栽培や製茶についての知見を有した者が行うべきもので、品質について明確に説明が出来る事が最低条件だ。
効率と呼ばれる針の穴
便利な世の中です。インターネットを通じた連絡や交流は数百キロ、数千キロの距離を一瞬に縮めます。インターネットと言わずとも、電話でも連絡は事足りて書類も郵便で送れます。
仕事の効率で考えれば既存の取引先数件へ早朝からクルマを走らせ、それぞれに打ち合わせと報告などは必要ない事なのかとも思います。
それがわかっていても、事ある毎に実際に会って話す機会をつくる様にしています。
その理由は効率と呼ばれる針の穴の外に大事なものがあると知っているからです。
視野の中心から外れたところにヒントがあったり、インターネットでは伝わらない空気感であったり。これも又、行間なのでしょう。