nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

好機到来

先日の常滑行きにて。

綾鷹は急須でいれたお茶を上に考えているんだなあとの会話となりました。

そして、お茶の特集本を読んで、お茶の事を色々と飾って書いているけれど、ちゃんとした急須を使っているところが少ないとも。

常滑だけでなく、茶の生産現場であっても仕事はこんな会話や交流の中にあります。時間がゆるせば茶をいれながら。

かつて、茶を介して、陶工、淹れる人、飲むことの工夫のやり取りがされていた時代がありました。文人と茶の時代であり、きっと時を遡った利休と茶もそうであったろうと確信しています。

戦後の互いに作れば売れる時代を通ってしまったが故に、その交流は途絶えてしまったように見えましたが無くなってはいません。

少なくとも私のまわりにおいては。

茶についてを少なからず知る者達と急須を作る者達の交流によって、更に次を目指して急須が生まれていく環境はより精度を上げて今に至っています。茶と急須は両輪の存在です。

何事も始まりは世界の片隅から。好きであること、情熱を燃料にして車輪は回るのです。正に好機到来。何と面白い時代なのでしょう。

スウェーデン人 オスカル ブレケルさん

北欧スウェーデンに生まれ、高校時代に日本の歴史文化に興味を持つうちに日本茶に触れ、その魅力にひかれて日本茶知りたいが為に、日本語を学び、合格率が25%の日本茶インストラクター資格を取得。
折角、就職した会社を辞してまで、茶業試験場で研修生として学んだ後に、日本茶輸出促進協議会のスピーカーとして世界を飛び回った2年間。
そして、独立して新たな歩みを踏み出した2018年半ばでの日本茶の楽しみ方を伝える書籍出版。

これは物語やフィクションでは無く事実です。

人種を越えて、茶業に関わった家業に生まれたわけでもないのに、こんなにも日本茶に向き合おうとしている人はいないのでは。

外国人が日本人に対して、日本茶のいれ方の本を書いたのはこの書籍が初めてであり、これはエポックなのでしょう。実に清々しい気分になります。

日本茶は不変ではなく、時代の流れと共に姿を変えて行きます。まだ若い氏が数十年をかけて日本茶を見つめ、その変化を文字や言葉に記して後世へと繋げていく様に私たちは接しているのです。

おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
これからの一歩は前人未踏の一歩です。その道行きが幸多きことを心から祈っています。

 

世界文化社

オスカルブレケル著

ゼロから分かる日本茶の楽しみ方

2018年6月8日発売


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好きな仕事、仕事を好きになること

お茶屋になった人と生まれた時からお茶屋だった人。どちらも苦労はありますが、売れてた時お茶屋に生まれ、そのまま後を継ぐと、既に仕入先や卸先を含めた売り先があり、お茶では無く「モノ」になってしまうのだろうと感じる事があります。
 
生産者も同様で、元から生産者の家に生まれ、作業や機械の使い方は分かっても、何が起きているのか又は製茶の理屈がわからない生産者も少なくない時代。
 
これはお茶に限ったことでもなく、「売れた時代」の次に来る事です。一世代前の顧客とマーケットによって成り立っているのでしょう。売れている時代が続いていれば全く問題はありません。作る側と売る側も万々歳です。
 
そうでなくなった場合にはどうするのか。やはり自らの扱う物についてを学ぶところからが重要です。
ルーチンワークとはしない。起きていることについて考察をする。栽培であれ、製造であれ、販売であれです。扱い品をただの「モノ」として見ないこと。その中でそのモノの歴史を学ぶ事も必要です。歴史から売らんが為の情報や言葉を漁るのは愚の骨頂。
 
分かろうとする事、学ぶ事。それは好きな事であれば出来ます。結局は好きな事を仕事とする。または仕事を好きになる。それが起点なのでしょう。

高い安い、美味しい不味い、好き嫌い

品質と値段の整合性がわかるようになる事が目利きになる事です。

自分の財布の厚さで判断をするのが目利きではありません。

値札だけを見て、高い安いとするのはある意味で、美味しい不味いや好き嫌いといった個人の勝手な感想を言っているのと同じです。

何故、その値段なのか、その価値があるのかはやはり、どの様に作られているのかを知る事が起点です。
全てのモノの品質に通じるなどというのは不可能ですが、シンプルで人の手によって作られる良品には多くに繋がるヒントが潜んでいます。

故に工芸作物である茶や常滑急須のモノづくり
はうってつけだと日々思う次第。

その値段だから作り続けられる事、それこそが正しい値付けです。

お茶がとするのであれば

茶の現場で思うのは、作り側も、売る側も、本当にそのお茶を自分で飲んでみたのか?拝見したのか?です。

飲んでいる、拝見しているとするのであれば、その人の感覚器の病を心配するレベルの事例も少なくありません。
 
茶にまつわる言葉で目にする、一期一会、喫茶去の言葉が命を宿すのは一服の茶の美味しさがあってこそです。
 
生産や販売に携わる者はそれを託されているのです。
水や湯、以外であればいいとする飲み物ではなく「お茶が」とするのであれば。

人それぞれに

縁のある中でお茶についての事柄を伝える事が何度となくあります。

私は全ての人に平等に教えるような事はありません。
仕事での取引先には取引先として。
セミナー形式を取る場合はお客さまを対象に呈茶や資料なども準備してサロンのように。
催事などでは商品説明の延長にプラスして。

時間は3分以内と言われれば3分で。6時間と言われれば6時間の内容で話せます。

言葉にしてしまえば何故そんな事に気が付かなかったのかと思うような事ばかりです。

お茶だから特別なのではなく、起きている物理的な現象は普遍的なのです。共通項を探しなぞらえてみる事。この程度の事で深いなどといった抽象的なところへ逃げないように。

本当の難しさや深さ、広さはその先にあります。学ぶほどに自らの浅学に気づき、大きな湖の畔にやっと立てている事を感じる日々です。さあ、いよいよ新茶シーズンも本格化して来ます。
今年もさらに一歩。
及ばぬ事を知りながらも前へ。

してやったり

お茶と急須は両輪の間柄ですので急須のご紹介もしています。中でも近年の注目株の平型急須は好評です。平型急須は常滑で不出来なコピーも出始め、してやったりの気分です。

さて、様々な意味合いやコンセプトが織り込まれた常滑焼平型急須。
一般の方はその低く底面が平らな形が気になる急須ですが、写真の様な茶葉を見る姿に既視感を覚えるのは茶業者の方々でしょう。

そう、審査道具の拝見茶碗(審査茶碗)です。

炻器の特徴や浸出条件は勿論ですが、意識したのは「茶葉を見やすいカタチ」です。コンセプトの中にあるひとつ、それは拝見茶碗の様に。湯のなかで見られる三次元の立体的な景色。
お茶を見る、拝見するのはお茶の面白さ楽しさを知ることにも繋がります。

お茶をもっと楽しく、美味しく、面白くこそが平型急須の大きなテーマなのです。

 


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