nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

凄いところですね。ここ。

1月某日
「石部さん、やぶきたよりも素晴らしい山峡が有るんですよ。」
「え!?そんなモノあるんですか?」
「量が少なくて今は、無いのですが春に出来上がったら見てみてください。」
「はい。」

※”やぶきた”と”山峡(やまかい)”は共に日本茶の品種です。日本の茶園の約7割はやぶきたが植えられています。山峡は昭和40年に登録された品種でやぶきたを母とします。茶業界では煎茶としては余り好まれていない印象がある品種です。

5月上旬某日
「約束していた山峡出来てきましたよ。」
「確かにこんなお茶見たことが無い。」
「値段はこれです。」
-こんな高い値のお茶を目にしたのは初めてだった。-
「・・・すいません。2キロだけください。」

4月中旬某日
「昨年に買わせていただいた山峡の園地を見たいのですが。」
「え、いいですよ。明日の午後、行きましょう。」

~翌日~
薄暗い杉林につけられた山道を登る。睡眠不足がたたって息が上がる。
「ドスン」
重い物が落ちるような音。
ニホンカモシカの親子と眼が合う。
二頭が 踵を返して林の中へ消えていく。
見上げると山道の上で林が切れて、狭い空が見えた。

「そろそろですよ。」
「はい。」
山道を登りきった先には急傾斜の茶園。これまでの茶園のイメージではない。 大きな親葉、力強い新芽。
「今年は切り生えですね。」
「凄いところですね。ここ。」
園地やお茶についての説明を聞くものの上の空だったのを思い出す。

帰りの下り道。
「あの、この茶園に時々登って写真を撮りたいのですが。」
「多分、大丈夫でしょう。話しをしておきますよ。」
「ありがとうございます。」
「それと、ここの山峡を全量扱いたいのですが。」

翌日、同じ山道を登る自分がいた。
今度はひとり、茶園のほとりに立って園地を見渡す。

「お茶だけでなく、この茶園の様子も伝えたい。ここも摩利支の園地と同じだ。きっと、こんな場所が静岡にはまだまだ有るのだろう。」

そして、この年の5月下旬。標高800mの自然仕立て茶園を目の当たりにすることになる。

2012年。最初の日から12年が過ぎた。今は私が人を連れて園地に来ている。山峡の園地は林道が通るようになって、登りから下りに変わった。生葉の運び出しも索道からモノラックへ。

「足元に気をつけてください」
「はい。」
「凄いところですね。ここ。」

かつて私が口にした同じ言葉を耳にした。 きっと、何を話しても上の空だろうなと思いつつ、息切れをしながら説明の言葉を繋いだ。


「三年も」などと思うのでしたらまともな茶業者になるのは諦めた方がいいでしょう。

お茶の事を勉強したかったら一年を通じての観察が一番です。
身体を形作る「葉」が収穫物となる茶は摘採(摘み取り)や、更新(茶葉の収穫ではない枝葉の切断)が行われる事によって、毎年、園地の様子が変わります。そこに年ごとの気候変動が重なる事も留意のほどを。
趣味の勉強なら兎も角、販売などに関わるのであれば最初の内は取引先などにアドバイスをして貰いながらが無難です。
予備知識が無い方には茶園の判断は難しく、ひとりの生産者、一ヵ所の園地を見るだけでは分かりません。
多少なりとも分かるようになるには、複数の生産者や園地を観察し、摘採された茶葉が製品としての茶になるのを最低でも三年は見る必要があります。
それが出来なければ、ただ、自分の好みで美味しい不味いを言っているに過ぎないのです。
「三年も」などと思うのでしたらまともな茶業者になるのは諦めた方がいいでしょう。何せたった新茶3回の年数です。
さて、冬の園地まわりはとても興味深く面白いものです。既に休眠期となっていますので良茶生産の勝負の8割は決まっています。更新の強度やハードニングの様子、葉層に畝間など見所は満載です。

ひとりぼっちで良い製品なんて出来ません

私は静岡茶常滑焼の急須を扱っています。意外に思われるかも知れませんが「常滑焼だから良い」「静岡茶だから良い」とは考えていません。

焼物の世界は「何々焼」だからと言った言葉は形骸化しています。以前、窯業に関わる人から、原料となる土や釉薬も注文して買える時代であり、原料による差異などは無く、どこもかしこも陶芸教室になったとのお話しを聞きました。私もそう思います。

常滑焼の急須であっても、静岡茶であっても感心しない製品は沢山あります。しかし、静岡だから、常滑だから出来る他に類を見ない良品がある事も事実です。
 
何故か?それは「産地」としてあり「産業」になっている事が大きな理由です。取り組む人数、人的な資産の多さと、周辺の道具や機材などが豊富なこと。
 
静岡で言えば、製茶機械は言うに及ばず、拝見道具やお茶用の資材に到るまで産地でなければ手配に手間取ることばかりですし、製茶に関わる関係者やその出来た製品で商いをする者が集まれば、競争が生まれ品質向上の可能性が高まるのです。
 
常滑も同じです。窯や原料、窯業に必要な機械類など産地だから融通の効く事柄は上げればキリが無いでしょう。
 
産地とは産地として必要なものが空気のように存在しているところです。
 
競争も交流も無い孤高に近い存在で良品を作るなどというのは夢物語にも等しく、それを成せるのは恐ろしい程の才気を有する人であり、現実にはまず存在しないのです。

ワイン以上に楽しめる嗜好飲料となるかも。

二十一世紀の今、日本茶の扉

日常茶飯の言葉があるように私たちの暮らしの中で茶は普段から馴染みのある飲料です。

人の感覚は自分が生きているタイムスケールに影響されます。子供の頃から自然に身の回りにあれば昔からあったように思いがちになるものです。

私たちのよく知る「日本茶」は実は歴史が深くはありません。明治以降、外貨獲得を目的に国策として生産された「茶」が原型です。1738年に永谷宗圓が発案したとされる蒸し製緑茶の製法を基礎としながら機械化された茶です。

茶の輸出と言ってもピンと来ない方がほとんどでしょう。累計統計を見てみると明治24年(1891年)全国の荒茶生産量の9割は輸出されています。当時の輸出先はほとんどがアメリカでした。

静岡市で暮らす人には馴染みのある静岡鉄道は明治39年(1906年)に静岡市から清水港へ茶の輸送をする為に作られた鉄道です。産業の規模を思わせる事例のひとつです。

大正6年(1918年)の30102t(内、緑茶17874t)をピークに輸出は減じて行きました。大正6年の総生産量に対しての国内用は22%であった のに大正8年には国内用が64%に逆転します。以降、輸出量が国内用を上回ることは無く、昭和38年には総生産量の95%以上が国内向けとなり、昭和43 年には1064tの緑茶が輸入されるようになりました。

平成16年には総生産量の99%が国内向けとなり茶の輸入量は16,995t。

今年は平成28年、平成元年生まれの人も28歳です。茶が国策として輸出されていた事など想像もつかない人がほとんどでしょう。

明治16年の茶生産量は20800t平成25年の生産量は82800tとなりました。この間に民間育種も含めれば100近い品種茶が生まれ、手揉みの製茶理論を機械化した優秀な製茶機械も開発されました。
茶の品種が登録されるまでに掛かる年数は20年近く、一朝一夕に新しい品種は出来ません。

21世紀の今は先達の努力、茶の大量生産と消費に支えられた時代があったからこそ出来た「近現代の日本茶」を楽しめる時代です。
高品質でかつては貴人しか楽しめなかった品質の茶を誰もが手にする事が出来るようになっています。
多種多様な品種群は実に表情豊かで、無香料なのに花のような香りや桜葉のような香りが楽しめる品種もあります。

そう、まるでワインのように茶を楽しめる時代。いや、ワイン以上に楽しめる嗜好飲料となり得るのが現在の日本茶です。
これまでの歴史を振り返っても、今のような時代はありませんでした。これまでの歴史を下地としながら新しい茶の楽しみ方、茶文化を生み出せるのが今なのです。

人間の味はどんな味?

とある所に珍しい羊がいて、その肉はそれはそれは美味しいらしい。どんな味なんですかと尋ねると、風味豊かでまるで若い人間の肉のようなと・・・・。学生時代に読んだうろ覚えのブラックジョーク。

お茶の香味に関しての表現を教えてくれるようなセミナーは無いのだろうかとの話題が友人からあった。

お茶に関する仕事をしていると、時折出る話題だが非常に難しくもある。ヨコ文字や舶来の表現が好きな人はワインなどを参考にしたりもする。

難しい理由は比喩に使用する表現が直接的なものであれば、伝える側と受け取る側に共通の「言葉と経験」が無ければならないからだ。


近々の催事で分かりやすい例をあげるなら香駿やさくらかおり(静7132)にある特長的な「桜葉様の香り」だ。桜餅のような香りとするが、桜餅を食べた事が無い人には全く伝わらない。実際、外国において桜餅を食べた経験がない場所では「ベリー系」の香りと表現されることもある。
印雑系統の香りについても同様で、ジャスミン茶のようなと言葉を発する人がいるが似ているとはとても思えない。

そして、味や香りについてを感じる部分は個人差が大きく、事前に何を食べていたかによって、同じモノでも感じ方が変わる。

同じコンディションで呈茶したお茶が、Aさんは甘く、Bさんは苦く、Cさんは渋いなんて事は試飲の現場では普通に起きる。

香味に関しての感想は全て過去形であることを頭の中にひっかけておくのがいい。そして、いっそのこと全く別の表現をしてしまうのも方法のひとつでもある。


ベルベットのような、絹のような、雨に濡れた猟犬のような。視覚や触感からのアプローチ、郷愁や憧憬を表現に織り込む。落ち着いて考えるとまるでバカのようでもあるが共通言語としては機能することが多い。
何にしても、色々なモノを見て、味わうことしかない。その中で、ふさわしい表現を発見していくこと。

先人が良いとしたモノから学ぶことは多い。ただ美味しいや不味いとしたり、食べられればいい、使えればいいとする生き方で失うモノは考えている以上に少なくない。

取引先に対して行った大事なノウハウを教えます。

私がこれまでに何件かの日本茶喫茶とのお取り引きを始める際に必ず行ったノウハウのひとつをお伝えしようと思います。

先ず先に、汚くシニカルに聞こえるかも知れませんが、世の中を見回せば、大きな売上と利益を上げるには原価の低い製品を高く、遍く売る事と分かります。そして、販売単価は安ければ安いほどいいのです。価格が上がるほどに顧客数は比例して減っていきます。商売は買う者が愚かなほど楽になります。
   
私が根本の部分で常に考えているのは、取引先を馬鹿にしてしまわない事です。特に取引先の更に先に、お客さまがいる場合にはその事を特に心掛けるようにしています。
 
お茶を扱う商いというのは厄介なもので、子供の頃から親しんでいるせいか一般の方も、お茶なら私にもと思われる方が少なくないのです。取引先との会話でお茶屋も舐められたモノだよなとの言葉が呟かれるのも全く否定する気になりません。ワインや宝石などとなるとおいそれと手を出さないのは経験が無くハードルが高いからです。
 
さて、本題に入りましょう。私が一番最初にしたのは商品サンプルを送る事でも、見積書を書くことでもありませんでした。先ずは仕入れ担当になる人にお茶の拝見方法を教える事からです。
お付き合いを始めると決めたら、閉店後や開店前などでお時間のある時にお茶の拝見の仕方を実際に一緒に行う。簡単な道具一式を無期限で貸す事に加えて次の言葉を伝えました。
 
「茶は非常にシンプルな食品なので、比較しながら拝見をするとどの様なモノなのかが分かるものです。どんな葉が摘まれてどの様に作られたのか。少なくともお茶の事を美味しい不味いではない視点を持ち”お茶を見る力”を養ってください。生産者や茶業者のいいなりではなく、どの様な製品を仕入れるのかに真剣になって欲しいのです。自信を持ってお客さまへ薦められるように。私からの製品を無理に買う必要はありません。他業者の品と比べても選んでいただける製品を納められるよう頑張ります。」
 
概ねこれが最初の仕事でした。言葉や道具、シチュエーションなどは変化しますが基本的な部分は変わりません。

大事なノウハウをお伝え致しました。どうぞご参考ください。
 

もっと手軽にお金を稼ぎたいと思った方は私は面倒な取引先だったのでしょう。実際にご縁が無くなったところもあります。 
料理が作れてお金をいただけるから「料理店」です。料理も作れずに料理店を開業するのはおかしな事です。お茶を扱うのにお茶の事を知らないのは同じ様に変です。消費の最前線に居る者ほど、川下から川上の情報まで知っていなければいけない。お茶の場合は園地、栽培、製茶、仕上げ、茶器、水、いれ方、歴史などです。
いちいち、そんな面倒な事をと思われる方も少なくないかも知れませんね。

そうなんです。
私はとても面倒な人間なのです。でも、だから成せた仕事もあり、少なくともお茶を商う事において清々した気分でいられます。

蒸し製緑茶の誕生は今!

日本茶インストラクターのテキストや世の中に出回る日本茶の本において、緑茶は大きく「蒸し製」「釜炒り製」とだけ分けられていますが、これが間違いの始まりです。

「蒸し製」は
①水蒸気を熱源に使用した製法
②水蒸気の持つ凝縮潜熱を利用する製法

に分けられ、①は現象として「湯」を使う湯びく茶に近い作り方です。蒸熱工程に使用される送帯式は「湯びく茶」そのものであり、マニュアル通りに使われる 丸胴式蒸機は蒸し製と湯びく茶のハイブリッドとなっています。一般的に言われる60秒蒸すなどは「茹でる」工程をいい、浅蒸し、中蒸し、深蒸しには現象と してなりません。 ②は言葉通りに水蒸気の凝縮潜熱を「酵素失活」と「茶葉に対しての均一な熱衝撃」に利用するもので「湯びく」の状態を排除した製法です。添付写真のように 胴部分のカバーを外して蒸熱を行う製法です。横沢共同や他、一部の製茶工場ではこのような製法で蒸熱を行っています。拝見したことはありませんが、おそら く同様の方法で「碾茶」の蒸熱を行っている工場があると想像されます。 「釜炒り製」は ③熱源としての加熱した鉄などから茶葉への直接の伝熱によって酵素失活(殺青)を行う製法。少量の茶葉を使う釜炒りなど。 ④熱した鉄などから茶葉全体を熱し、茶葉内の水分を加熱、「炒り蒸し」の状態を作る製法。台湾他に見られる殺青機など。 販売時に語られ、伝えられている言葉に間違いがあります。その事に気がつけるかどうか。生産者、製茶問屋などの茶業者でさえ気がつけていないのが現実です。 最も基本的な部分を理解すること。 百年の時を重ね到達した②の蒸し製緑茶を目にする事が出来ていること。 つまり「蒸し製」は過去において安定して作れなかった茶種であり20世紀後半から21世紀前半に初めて製品としての製造が可能となった茶なのです。