nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

ワイン以上に楽しめる嗜好飲料となるかも。

二十一世紀の今、日本茶の扉

日常茶飯の言葉があるように私たちの暮らしの中で茶は普段から馴染みのある飲料です。

人の感覚は自分が生きているタイムスケールに影響されます。子供の頃から自然に身の回りにあれば昔からあったように思いがちになるものです。

私たちのよく知る「日本茶」は実は歴史が深くはありません。明治以降、外貨獲得を目的に国策として生産された「茶」が原型です。1738年に永谷宗圓が発案したとされる蒸し製緑茶の製法を基礎としながら機械化された茶です。

茶の輸出と言ってもピンと来ない方がほとんどでしょう。累計統計を見てみると明治24年(1891年)全国の荒茶生産量の9割は輸出されています。当時の輸出先はほとんどがアメリカでした。

静岡市で暮らす人には馴染みのある静岡鉄道は明治39年(1906年)に静岡市から清水港へ茶の輸送をする為に作られた鉄道です。産業の規模を思わせる事例のひとつです。

大正6年(1918年)の30102t(内、緑茶17874t)をピークに輸出は減じて行きました。大正6年の総生産量に対しての国内用は22%であった のに大正8年には国内用が64%に逆転します。以降、輸出量が国内用を上回ることは無く、昭和38年には総生産量の95%以上が国内向けとなり、昭和43 年には1064tの緑茶が輸入されるようになりました。

平成16年には総生産量の99%が国内向けとなり茶の輸入量は16,995t。

今年は平成28年、平成元年生まれの人も28歳です。茶が国策として輸出されていた事など想像もつかない人がほとんどでしょう。

明治16年の茶生産量は20800t平成25年の生産量は82800tとなりました。この間に民間育種も含めれば100近い品種茶が生まれ、手揉みの製茶理論を機械化した優秀な製茶機械も開発されました。
茶の品種が登録されるまでに掛かる年数は20年近く、一朝一夕に新しい品種は出来ません。

21世紀の今は先達の努力、茶の大量生産と消費に支えられた時代があったからこそ出来た「近現代の日本茶」を楽しめる時代です。
高品質でかつては貴人しか楽しめなかった品質の茶を誰もが手にする事が出来るようになっています。
多種多様な品種群は実に表情豊かで、無香料なのに花のような香りや桜葉のような香りが楽しめる品種もあります。

そう、まるでワインのように茶を楽しめる時代。いや、ワイン以上に楽しめる嗜好飲料となり得るのが現在の日本茶です。
これまでの歴史を振り返っても、今のような時代はありませんでした。これまでの歴史を下地としながら新しい茶の楽しみ方、茶文化を生み出せるのが今なのです。

人間の味はどんな味?

とある所に珍しい羊がいて、その肉はそれはそれは美味しいらしい。どんな味なんですかと尋ねると、風味豊かでまるで若い人間の肉のようなと・・・・。学生時代に読んだうろ覚えのブラックジョーク。

お茶の香味に関しての表現を教えてくれるようなセミナーは無いのだろうかとの話題が友人からあった。

お茶に関する仕事をしていると、時折出る話題だが非常に難しくもある。ヨコ文字や舶来の表現が好きな人はワインなどを参考にしたりもする。

難しい理由は比喩に使用する表現が直接的なものであれば、伝える側と受け取る側に共通の「言葉と経験」が無ければならないからだ。


近々の催事で分かりやすい例をあげるなら香駿やさくらかおり(静7132)にある特長的な「桜葉様の香り」だ。桜餅のような香りとするが、桜餅を食べた事が無い人には全く伝わらない。実際、外国において桜餅を食べた経験がない場所では「ベリー系」の香りと表現されることもある。
印雑系統の香りについても同様で、ジャスミン茶のようなと言葉を発する人がいるが似ているとはとても思えない。

そして、味や香りについてを感じる部分は個人差が大きく、事前に何を食べていたかによって、同じモノでも感じ方が変わる。

同じコンディションで呈茶したお茶が、Aさんは甘く、Bさんは苦く、Cさんは渋いなんて事は試飲の現場では普通に起きる。

香味に関しての感想は全て過去形であることを頭の中にひっかけておくのがいい。そして、いっそのこと全く別の表現をしてしまうのも方法のひとつでもある。


ベルベットのような、絹のような、雨に濡れた猟犬のような。視覚や触感からのアプローチ、郷愁や憧憬を表現に織り込む。落ち着いて考えるとまるでバカのようでもあるが共通言語としては機能することが多い。
何にしても、色々なモノを見て、味わうことしかない。その中で、ふさわしい表現を発見していくこと。

先人が良いとしたモノから学ぶことは多い。ただ美味しいや不味いとしたり、食べられればいい、使えればいいとする生き方で失うモノは考えている以上に少なくない。

取引先に対して行った大事なノウハウを教えます。

私がこれまでに何件かの日本茶喫茶とのお取り引きを始める際に必ず行ったノウハウのひとつをお伝えしようと思います。

先ず先に、汚くシニカルに聞こえるかも知れませんが、世の中を見回せば、大きな売上と利益を上げるには原価の低い製品を高く、遍く売る事と分かります。そして、販売単価は安ければ安いほどいいのです。価格が上がるほどに顧客数は比例して減っていきます。商売は買う者が愚かなほど楽になります。
   
私が根本の部分で常に考えているのは、取引先を馬鹿にしてしまわない事です。特に取引先の更に先に、お客さまがいる場合にはその事を特に心掛けるようにしています。
 
お茶を扱う商いというのは厄介なもので、子供の頃から親しんでいるせいか一般の方も、お茶なら私にもと思われる方が少なくないのです。取引先との会話でお茶屋も舐められたモノだよなとの言葉が呟かれるのも全く否定する気になりません。ワインや宝石などとなるとおいそれと手を出さないのは経験が無くハードルが高いからです。
 
さて、本題に入りましょう。私が一番最初にしたのは商品サンプルを送る事でも、見積書を書くことでもありませんでした。先ずは仕入れ担当になる人にお茶の拝見方法を教える事からです。
お付き合いを始めると決めたら、閉店後や開店前などでお時間のある時にお茶の拝見の仕方を実際に一緒に行う。簡単な道具一式を無期限で貸す事に加えて次の言葉を伝えました。
 
「茶は非常にシンプルな食品なので、比較しながら拝見をするとどの様なモノなのかが分かるものです。どんな葉が摘まれてどの様に作られたのか。少なくともお茶の事を美味しい不味いではない視点を持ち”お茶を見る力”を養ってください。生産者や茶業者のいいなりではなく、どの様な製品を仕入れるのかに真剣になって欲しいのです。自信を持ってお客さまへ薦められるように。私からの製品を無理に買う必要はありません。他業者の品と比べても選んでいただける製品を納められるよう頑張ります。」
 
概ねこれが最初の仕事でした。言葉や道具、シチュエーションなどは変化しますが基本的な部分は変わりません。

大事なノウハウをお伝え致しました。どうぞご参考ください。
 

もっと手軽にお金を稼ぎたいと思った方は私は面倒な取引先だったのでしょう。実際にご縁が無くなったところもあります。 
料理が作れてお金をいただけるから「料理店」です。料理も作れずに料理店を開業するのはおかしな事です。お茶を扱うのにお茶の事を知らないのは同じ様に変です。消費の最前線に居る者ほど、川下から川上の情報まで知っていなければいけない。お茶の場合は園地、栽培、製茶、仕上げ、茶器、水、いれ方、歴史などです。
いちいち、そんな面倒な事をと思われる方も少なくないかも知れませんね。

そうなんです。
私はとても面倒な人間なのです。でも、だから成せた仕事もあり、少なくともお茶を商う事において清々した気分でいられます。

蒸し製緑茶の誕生は今!

日本茶インストラクターのテキストや世の中に出回る日本茶の本において、緑茶は大きく「蒸し製」「釜炒り製」とだけ分けられていますが、これが間違いの始まりです。

「蒸し製」は
①水蒸気を熱源に使用した製法
②水蒸気の持つ凝縮潜熱を利用する製法

に分けられ、①は現象として「湯」を使う湯びく茶に近い作り方です。蒸熱工程に使用される送帯式は「湯びく茶」そのものであり、マニュアル通りに使われる 丸胴式蒸機は蒸し製と湯びく茶のハイブリッドとなっています。一般的に言われる60秒蒸すなどは「茹でる」工程をいい、浅蒸し、中蒸し、深蒸しには現象と してなりません。 ②は言葉通りに水蒸気の凝縮潜熱を「酵素失活」と「茶葉に対しての均一な熱衝撃」に利用するもので「湯びく」の状態を排除した製法です。添付写真のように 胴部分のカバーを外して蒸熱を行う製法です。横沢共同や他、一部の製茶工場ではこのような製法で蒸熱を行っています。拝見したことはありませんが、おそら く同様の方法で「碾茶」の蒸熱を行っている工場があると想像されます。 「釜炒り製」は ③熱源としての加熱した鉄などから茶葉への直接の伝熱によって酵素失活(殺青)を行う製法。少量の茶葉を使う釜炒りなど。 ④熱した鉄などから茶葉全体を熱し、茶葉内の水分を加熱、「炒り蒸し」の状態を作る製法。台湾他に見られる殺青機など。 販売時に語られ、伝えられている言葉に間違いがあります。その事に気がつけるかどうか。生産者、製茶問屋などの茶業者でさえ気がつけていないのが現実です。 最も基本的な部分を理解すること。 百年の時を重ね到達した②の蒸し製緑茶を目にする事が出来ていること。 つまり「蒸し製」は過去において安定して作れなかった茶種であり20世紀後半から21世紀前半に初めて製品としての製造が可能となった茶なのです。

昔はこんなお茶があったんだけどねえ

現在、現役の多くの茶業関係者はこれまであった大きな市場に対して、大量生産と効率化の積み木を重ねた天辺でお茶と関わる事になっています。

その視点から茶価の低迷に対応するのであれば、更に効率化を進める事です。人件費を出来る限り減らし、オートメーション化をさらに進めて製茶に掛かる時間全体を短縮していく。有効な手段のひとつです。

資本力の戦いとなり、結果として茶価は更に下がるかも知れません。茶の工業製品化を進めていくのも機械化の技術に秀でた日本の姿のひとつなのでしょう。より換金性が高い生産を目指して。道理であり正しい考え方です。

ただ、これでは今、私達の目の前にある日本茶ならではの楽しさや美味しさは減ずる方向になっていきます。

では、どうするのかといえば実に古臭い対面販売と、残したいお茶に対しての知識を伝えていく事。それに合致するお茶を作る生産家や関係者と一緒に物づくりをしていく。「替わる物がない価値」これでなければと思える品である事。それこそが生命線です。

以前のように「勝手に売れる茶」ではなく「売るお茶」とする。製茶の歴史を紐解き、日本茶ならではの面白さを自らが学び伝える。
遠回りに見えるかも知れませんがこれ以外には無いと考えています。これはとても大変な事で物理的にも精神的にも体力が必要です。


日本茶を取り巻く現状は光明と暗闇がせめぎ合っています。関わる者から正直に言えば、余り時間の猶予はありません。じわじわとではなくサラサラと崩れるように失われていくように思えます。

気が付けば「昔はこんなお茶があったんだけどね。」と語っているようになりそうです。

私は臆病者でその時に何もせずにいた自分に平気でいられる程、強い心の持ち合わせがありません。沢山の失敗をし、多くの人に面倒、迷惑をかけながらもまだまだ道半ばにも届かず、恥ずかしい限りです。

それでも、今、出来る事をしてその結果、「昔は・・・」の言葉を私の知らぬ未来まで先送りにしたい。それが私の望んで止まぬ事です。

いっぱいある、お茶関係の資格、日本茶インストラクター。

茶に関した仕事をしていると奇妙な響きの資格めいた肩書きを目にします。コンシェルジュやらナビゲーター、コーディネーターなど何やら横文字が多く次から次へと雨後の筍さながらです。そして、その走りはやはりインストラクターでしょう。全国区の統一試験で実質的バックボーンは茶業中央会。門戸は身贔屓無く業界外の一般まで開かれています。

私は仕事をする時、臆する事無く自らを「日本茶インストラクター」とお伝えしています。相対した人の殆どは「日本茶インストラクターってお茶について詳しいのですね。」と感想をお伝えくださいます。対して「ええ、そうですね。」と笑顔でお答えします。

日本茶インストラクターに課せられた役目は開設当初に業界から設定された「茶業振興」ではなく、業者都合ではない立ち位置から日本茶についてを伝える事と考えています。

人が間に入り仕事をして、精度を上げ、目利きをしていくのが「茶」という製品です。仕事の度に伝える事は増えていきます。それは仕事には理由があるからです。情報の川下に立つほど、学ばなければいけない事が増えていくのは道理です。

消費の現場で人に茶についてを話すのであれば、茶という植物について、栽培、摘採製造、荒茶の仕上げ、お茶をいれる時の道具や水、楽しむテクニックなどまで知識は必要になります。資格を掲げて、茶販売などのアドバイスなどとなれば販売実績も無ければ説得力に欠けるものです。

テキストで覚えた通り一編のいれ方や紅茶の焼き直しのようなアレンジティーなどを伝えるだけなら全く無用の資格です。でなければ資格好きの自己満足用商品です。

資格の価値はそれを構成している者がつくるものです。その事を軽んじては20万近い金と勉強に使った時間はドブに捨てたのに等しいでしょう。聡明な諸氏はお気づきでしょう。これは何も日本茶インストラクターに限った話ではありません。

来年の二次試験。不安でしょうけれど一次を通ればほぼ手中にしたも同然です。焦らずに資料茶などを使って拝見のポイントの感覚をつかみましょう。大丈夫です。そんなに難しくはありませんから。

自らにストレスを与え、茶についての知識を厚く出来た事、それはご自身の持つ宝になるかも知れません。お茶を介して楽しく時間を過ごせればと願います。

お茶が育ち、お茶を作る事が出来、楽しむのに相応しい水が豊かな国。先人の努力により、かつては貴人しか口に出来なかったであろう品質の茶が誰にでも手にはいるようになりました。多種多様な香味の品種茶、そして様々な製法や意匠の焼物が焼かれてもいます。

21世紀の今、これまでの日本茶の歴史の中で最も日本茶を楽しめる時代です。

日本茶はいつまで飲めるの?日本茶のヴィンテージ出来ます。

日本茶のヴィンテージが持つ可能性。  

現在、流通している商品としての茶葉は「新茶」そして「当年産の茶」です。ヴィンテージの日本茶が定着すれば前述の2種ではない「第3の商品」としての茶となります。   ヴィンテージとするのであれば、相応の価値がある茶が相応しいので、価値が担保された製品である方が意味を持ちます。 生産者、品種、土地、年度なども重要な情報になり、それらは基本的に茶価の高い製品です。

飲んで楽しむ事は勿論ですが、コレクション性や意味のあるギフトなどともなります。 外装などのパッケージもそれに向けて一考も。保存する際の量目も少ない方が経年による変化もスムーズであり、お客さまの手元においても特別な道具を必要とせず、概ね4℃の保管を心がけていただければいいでしょう。冷蔵庫で言えば「野菜室」などです。 そして、仮に常温であったとしても未開封であれば健康被害の起きる変質はまず考えられません。   人口が増えて、家の数も増えていった時代は常に消費でしたが、その針の向きは今、変わっています。より楽しむ。より豊かな気持ちにとなる方向にヴィンテージの日本茶は存在しています。

日本茶のヴィンテージについて、茶業に関わる方で、最も驚かれるのは下記の一文でしょう。
『酸味を感じるような香りである「ヒネ臭」は経年変化の途中で生まれる香りであり、いずれ感じなくなります。』 

これまでも相対でお話しをする際にほとんどの方が「そうなんですか?」と反応をなさいます。無理のない反応です。きっと私でもこれまでの経験が無ければそう言う事でしょう。何故かと言えば、保管時の単位(茶葉の量目)が大きく影響をすると思われるからです。今回の拝見でも、2004年産の本山産ヴィンテージ「築地2004」において、50gのパッキングは該当の香気が感じられず、5㎏のバルクにはそれが残っていました。

茶業者の保管は基本的に数10㎏×何本といった単位の大きな量目であったり、㎏単位の窒素充填です。そして、「保管時の量目は多い方が痛み難い」が常識ともなっています。商いとしても長期間動かない在庫を持つ事は好ましい事で無いのが基本です。   「ヒネ臭(酸味を感じるような香り)」は「経年変化の途中で生まれる香り」であるといった知見を得るには困難な環境なのです。 ヴィンテージとは出来た時のまま変わらないのでは意味がありません。当年生産のお茶で十分です。 経年によって飲料として好ましい方向で香味が変わり、それまでとは異なったキャラクターの製品となること。生産年度と相まって価値となるのがヴィンテージです。 これはワインなどにもなぞられる事象なので理解しやすいですね。

十数年を掛けて得た知見ですが、始まったばかりの製品がヴィンテージの日本茶です。 お伝えする事は吝かではないので、是非、多くの方々が参考になさって取り組んでくださればと思う次第です。