nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

21世紀の茶とお茶屋の仕事

お茶を手軽に飲めるようにと言われますが、軽くキャップをひねるだけでいつでも飲めるようになった「茶」が大きな市場を有し、その目的はほぼ達せられています。
 
手に入れる気になれば24時間いつでも自動販売機やコンビニエンスストアなどでもお茶を買う事が出来る。お湯を沸かす必要もなく、こんなに「茶」が手軽に飲める時代になりました。これ以上手軽になどとなる事はありません。
茶殻を捨てる事も、洗い物も無く、美味しさもそこそこで、茶に対して過大な期待をしていなければ及第点です。無理やりに色や、鮮度を追ったようなリーフよりは何倍も飲みやすいでしょう。
 
そして茶系ドリンクの原料は紛うことなく「茶」です。原料茶として需要と供給が叶う生産体制でのぞめるのであればそれをするのが正しい姿です。換金作物を作る生産者としてそこに貴賎はありません。それどころか、資本が無ければそのような大量生産には向かえない事でしょう。広大な茶園で、高効率化された生産体制で年平均単価500円/kgの継続生産を目指す茶業も立派だと本当に思います。
 
私は資本として少なく、商いとしてその方向は出来ません。資本の少ない商いほど、よりスペシャルで価値が高く、価格もそれに見合った高価格である商いをする必要があります。
より高品質となれば、荒茶などは商品ではなく、製茶問屋の目的を持った仕上げ技術が必須です。山間地で園地面積が少なく、生産量ではなく、品質と高価格を目指す取り組み先は最高のビジネスパートナーです。
 
とは言え、高価格帯の茶といっても知れています。高くてもたかだか10000円/100gです。生産量の少なさと品質を考えればもっと高価格の食品は多数あります。高級腕時計や自動車のように、憧れても買えないような製品ではありません。酒のディスカウントストアに並ぶ洋酒よりも安いのです。
 
ひと世代前の、100g500円や300円でも美味しいなどと言う言葉を発する者は結局、茶の未来を喰いつぶしている人達です。
 
茶業に関わるのであれば、100g2000円、3000円の茶の美味しさを伝え、生産者はそれに見合うような茶づくりをする。茶価を上げると言うのならそれに見合った事をしなければ出来はしません。その価値を有さない製品を不釣り合いに高い値段で売るのはお客さまへの裏切りだからです。
そんな手間で面倒な作り方や売り方をと思うかも知れませんが、それをしない限り、私たちが残したいと思う日本茶の世界は存続されません。
 
日本茶が好きで憧れていた外国の若者が、一杯の茶を飲んで発した言葉は「日本に来てよかった。」でした。

この言葉を常とするように。大袈裟でも何でもなく、21世紀、茶に関わる者に託された仕事です。