nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

お茶を扱う者がお茶をいれる意味

茶業者となって2年目からやぶきたでは無い品種茶を扱うようになりました。

品種茶とは何か、お茶をいれるとはと考えながら、本格的に販売を開始したのは静岡伊勢丹B1Fおいしいふるさと村で摩利支の販売を始めた2001年10月末です。

ただお茶をいれるのではなく、品種の特長を活かすいれ方、そして見せ方をする事。そのお茶は何を持っているのか、持っている物をどうやって出していくのかがテーマとなっていきました。そして、それは2003年からの日本茶カフェなどへのいれ方やメニューの提案へと繋がる事になりました。

品種が変われば香味が変わるのは当然です。違うものを漠然といれて違うとするのは余りにも工夫が足りません。少なくとも、品種茶を扱い、人にいれる者はフロントランナーであり、このお茶の特長、楽しさのヒントを伝える役割を担っています。

21世紀はこれまでの時代で最もお茶を身近に、そして楽しめる可能性のある世紀です。
私の様ないい歳をした男が細々としたお茶のいれ方を語るのは気恥ずかしい部分が多いのですが、それを必要とする人には伝えるようにしています。

煎を重ねて変化する香味。有るから出せる部分、出す事によって削ったから感じられる風味など小さなテーブルと僅かな道具だての中でもやれる事は沢山あります。
便利や効率といった軽々しい言葉を弄してお茶の面白さに気がつけないのは勿体ない事です。

 

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=HS2SGfhag98

 

 

日本茶が分かるようになれたらいいなあ

園地で健やかに育てて、適期で摘採。摘採後の生葉の取り扱いと葉の様子に合わせて、製茶理論に沿った製茶を行うこと。
 
酵素失活を水蒸気で行い、揉んで乾かす事を基本とした製造時間が短い蒸し製緑茶はとても分かりやすいシンプルなお茶です。
 
それ故にごまかしが効かず、不良な部分は他の茶種よりも目立つので製茶は決して容易くはありません。日本において多くの人が製茶を出来ているのは先人が開発した製茶機械のおかげです。
 
多くの人がお茶が分かるようになったらいいなと常々思います。飾り言葉や抽象的な言い回しなど意味が無い事に気づけるのがお茶なのです。

美味しいだけではない

昨夜、僅かな時間ですが業界外の立ち位置で茶の審査に関わってくれている友人と話をしました。

コーヒーやワインの話題から日本茶の話題に。マシンで一般の人の期待値をクリアするコーヒー、そしてニューワールドのワイン、どちらも美味しく作り込まれているものです。商品として流通し、支持されている物の多くに通じる部分です。そして、品評会を是とする日本茶もこれに近いのです。
規格に沿った評価と減点法。満点が最高点になる世界。とても正しい事です。

会話の中で築地東頭の話題になり、彼からこのお茶はやはり違うなと思ったと言葉が出ました。
美味しいだけではなく、ちゃんと作っているのだけれど作り込み過ぎていない、このお茶の凄いところだなと思うと。

そうですね。必要な事を全てしながら、野趣がある事。それこそが大事な部分であってオリジナルなのでしょう。
ニューワールドに対してのフランスのワインであったり、マシンに対してのハンドドリップの魅力であったり。

満点は素晴らしいですが、つまらないものです。満点以上を目指す事が目的なのですから。ただの陶器に陶器以上の価値を見出だした先人。混沌の中で価値の創出に向かった人の強さ。

21世紀になったばかりの時、自らの肩書きの中に、ただ美味しいだけではないを伝えたいと、言葉の意味もあやふやなまま書いた一文が最近、やっと見えて来た様に思えます。
私の力ではなく、関わってくださる皆さんのおかげです。ありがとうございます。
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お茶のいれ方は提案のひとつ

お茶のいれ方。
お湯や水、お茶の葉の質や量などを考え、道具にも気を配りますが実際には、こんな風にも入りますよといった提案でしかありません。

沖縄などの硬度が高い水質の土地を除いて、日本茶と日本の水の相性は非常によく、低い温度から高い温度まで、それなり美味しくはいるものです。
日本でお茶をいれる時、蒸し製の緑茶よりも、いれ幅の広いお茶を探す方が難しいでしょう。

ちゃんと出来たお茶はどういれても美味しいものですが、その入口での提案がお茶のいれ方です。

美味しいお茶を飲みたいと思った時に一番最初に心掛ける事は、美味しいお茶を買って来る事です。その為にも、お茶は出来るだけ試飲して買うのがいいですね。

テイスティング

お茶のテイスティングと横文字で書くと、ワインなどのシーンを思い浮かべて、産地を当てたりするようなものの様に思われるかも知れません。

実際には違います。

製茶問屋が行う審査(拝見)は荒茶を仕入れる際に茶以外の異臭(煙臭、油臭、薬臭)が無いか、それらも含めて製品とする時に問題となる部分が無いかの確認です。

相対で生産者が持ち込みで取引するような場合はその場で審査内容から値段を決め、製造に関しての注意や依頼をします。経験が豊富な製茶問屋であれば、次回の製造時における粗揉機の使い方や摘採の指導などもこの時点で行います。

仕上げなどの機械設備を持たない茶業者は製茶問屋からの仕上茶の見本を審査し、自らの扱い茶と出来るのかを判断します。ここでも一番注意をするのは異臭と製造時の不良です。納得すれば仕入れとなります。

私の場合、少々趣が異なって来ます。シングルオリジンの製品が多いので土地や品種のキャラクターがあるのかを確認します。工芸作物作物である茶は形状を保持するオーソドックスな製茶であれば生産者毎の違いは必ずあるものですので、園地へ行き、生産者や製造の現場に行く経験を重ねれば、更に違いが分かるようになります。
園地でのチャの様子は生産者毎に違うのですから当然と言えば当然です。

そして、審査の際に考えるもうひとつは何をこのお茶は持っているのか?です。

一杯の茶とする為の元は茶葉そのものであって、その中に無いものは出てくる筈も無い。無い袖は振れないです。では、有るのであればそれはどんな風にしたら特徴豊かに出せるのかを考えます。

喫茶やセミナー、メニューなどに日本茶を扱ってくださる取組み先諸氏への情報提供や催事などでお茶を上手にいれたいや、こんな風味のお茶を飲みたいとするご希望に合わせるのに必要な審査です。
私が商いを始めた頃、この様な視点でお茶を見る業者はいませんでしたし、今でもいないか極少数でしょう。何故なら経験に加えて、お茶をいれる事、茶器に関しての興味と知識、香味の理由を理屈で考える事などが必要であって一朝一夕には出来ないからです。そして、出来たところで何よりもお金になり難いものなのです。

20年近くこの様な仕事をして来ましたが、これらの積み重ねの先で、私などよりも優秀な取引先が仕事としてお客さまに喜んでいただけている様子を見ると続けて来て良かったなあと思います。
次の階段は私の立ち位置での審査のエッセンスがお茶を見る事の面白さとして一般の人にも広がっていくといいなと夢想します。

日本茶を取り巻く環境は大きく変わろうとしていますが、10年後にもっと世界の人が日本茶を楽しめているように。
その種は確実に蒔かれています。

はじまりの急須

昨日、飲食店への納品に伺った際に、石部さん平型の急須って本当にお茶が美味しくはいるんですねと弾む声でお伝えいただけました。

平型急須は常滑の急須職人にとっても作り難い急須ですが、お茶をいれる人にとっての「はじまりの急須」がテーマになっています。

蒸し製の日本茶の特徴に向けてデザインされた急須で、お茶をいれる事を真面目に考えた人であれば納得出来る理由が潜んでいます。

様々な偶然と必然が重なりながら世に出た常滑焼平型急須。手作りなので大量にとは言えませんけれど、それでも数千の数が人の手に渡って行きました。

お茶をいれる楽しさ、面白さのきっかけとなり、はじまりのひとつとなれば幸いです。
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お金がお茶に向かう

お茶も急須も売れないなどと業界では言われていますが、数年前から首都圏など人口が集中している商圏には他業種の余剰資金が茶関連のビジネスへと流れているのを感じます。
 
好む好まざるを別にして、2020年の東京オリンピック開催に向けて「日本」をテーマとした有形無形の商品提案は加速します。

さて、私たちの生活や身の回りを見回した時、「日本」と言えるものは何があるのか?百貨店他の商業施設を見回した時に、これが日本的と伝えられるモノが少ない事に気づきます。クールジャパンなどと称してコミックやアニメーションなどのサブカルチャーに税金が投じられている様子もそのひとつ。
  
その中で「日本茶」は非常に分かりやすい「日本」を伝えるアイテムです。軟水の土地で楽しめる茶として自然と根付き、特殊な「茶」になっています。その土地に降った水(雨)で育ち、製造に水(水蒸気)を使い、その国の水で飲むお茶が、蒸し製の緑茶です。蒸し製緑茶の豊かな旨みと煎を重ねる毎に表情を変える風味は日本茶の大きな特徴のひとつであり、抹茶の有する歴史や文化、茶道は更に日本らしいものです。
 
情報の発信や表現を生業とする業界の人たちが日本茶に商いの目を向けるのはこの状況であれば当然なのでしょう。儲かりそうだから、売り抜けてやろうとする意志が鼻をつく事もしばしばですが、それも世の常であり繰り返しです。
私は実に面白い時代を生きているなと思っています。