nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

ティーペアリング

ティーペアリング。数年前に日本茶とフレンチを合わせたりもしたが、やはり、ワインの方がバランスもいいし、無理やり合わせる必要を感じなかった。

さて、私も最近、アルコール耐性が低くなって来たので、この事について再考する事がある。
 
食べて、お茶を飲むだけならペアリングなどと大層な言葉を使わなくとも、アルコールが飲めない人はこれまでも茶類や水を注文していた。その事にただ目を向けさせただけでは、だから何だとなって当然だろう。

新しい提案として目を向けるのは、口中調味と口内においてのドラスティックな変化についてにスポットを当てるのが基本になる。お茶でなくとも構わないのだけれど、それをお茶でやる事にそもそもの意味があるし、意味を持たせる。
 
例えば口内におけるドラスティックな変化の例。カスタードを食べてから熱めのコーヒーを口にして一気に溶けていくのを楽しんだり、ベクトルの同じ香味のシャーベットや果物と飲料を合わせて、印象を加速させたり。
ただ合わせるのではなく、動的な要素を織り込む。
 
結果として、口にした者が美味しいだけではなく、なんだコレとの表情と感想を残すような。ただ美味しいだけでは足りないのだ。
そうすれば、実際に体験したいとの欲求が生まれる。

そして、本当にエンターテイメント性を考えるなら、料理または菓子類を作る者との打ち合わせが必須になり、こんな風に出来ないものかとイメージを伝えて、それに合致するアイデアの出し合いの先に解があるものだろう。
その為には茶を担当する側にも技量が必要となる。その様な者がいったいどの位存在するのか。

と、ここまで書いていて、なんなのだが個人的には実はあまり興味が湧かない。

良質なワインには必ず隙間があって、料理とのバランスや、この肉にはこのワインを合わせないと勿体ないとの気持ちが働く。隙間や分からない数パーセントの部分、これこそが「合わせる」根の部分になっている。
 
本当にちゃんといれられた時の茶はその隙間が無く、完成した月輪のような存在であり、ショー風に扱う事や、合わせたら勿体ない。

私は良いお茶はお茶だけで楽しみたいのだ。いれ方の工夫、飲む器の工夫などまだまだ出来る事はある。