nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

今の日本茶

どの様にしてもそれなりに飲める葉を持つ植物が「チャ」です。
炙ったり、茹でたり、炒ったり、蒸したりと様々な加工が行われ、保存性が高く、いつでも飲めるようにもなっています。
 
日本においてもそれは同じです。広く販売されている蒸し製緑茶のメインストリーム以外の地方番茶の類は数多くありました。
蒸し製緑茶が主になったのは、その茶種が最も効率よく換金性が高かったからであり、必要とされる市場が形成され、それに合致するように生産が行われた結果です。
 
100年に満たない過去においては品種茶の園地などほとんど無く、日本の気候に順応した「チャ」。在来の集合体であり、茶はブレンドなどと言葉にするまでもなく、混ざったモノでした。
 
輸出や内需に向けて、市場に合致するように規格が揃えられた事はその範囲内において、品質の競い合いを可能としました。
簡単に言うなら、競技における種目を選び、その中で競い合う事と同じです。
 
その中での大きな変化は、品種の導入です。均一に揃った原料は均一な製品に直結し、やぶきたのみで製茶された製品は誰が見ても在来のそれよりも規格に沿う品質を有しました。求められたのは個性ではなく均一さです。
闇雲に品評会の茶を喜ばない程度の知識を持った方であれば理解は容易いでしょう。
  
これらの歴史を礎にして、私たちは小型の製茶機械によって作られる、極めて稀な小ロットの品種茶が楽しめる時代を生きています。その中には日本人の面よりも点を目指してしまう気質の影響も背後には感じます。
 
ただし、これは薄氷の上にいるような状態で奇跡にも等しい事です。何故なら、より換金性が高く、効率の良い方向へ、必要とされる市場に向けての原理は常にあるからです。
 
茶種として最大の生産量を誇る、紅茶のオーソドックス製法で作られる製品とローターベンやCTCで製造されるアンオーソドックスの比率を見ても明らかであり、日本においても「チャ」の乾物の工業製品化が進んでいます。ほんの少し前に起きた摘採機と製茶機械の大型化、そしてチャの食品原料化へ。
 
高価格、高品質、小ロットのシングルオリジンの仕上げ茶を販売商品の主とするような、私のする商いは明らかにマイノリティです。メジャー路線の様に沢山のお金を稼ぐ事は出来ないのは間違いなく、茶産業への貢献度は非常に少ないと自覚しています。
 
意識をしていなければ、気がつかないうちに身の回りを取り巻く様子は変わっていくのでしょう。そして、お決まりの「昔はこんな・・」の言葉が口をつくようになります。これは仕方が無いことです。
  
私が商いをしている間はその言葉を先送りに出来ればと思います。
私の性格にも合って、おかげ様で楽しい商いともなっていますので。