nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

誰でもお茶が美味しく?そんなのただの入口ですよ。面白いのはその先です。

私はお茶と茶器を扱いながら商いをさせていただいております。何事にも言える事なのですが、見識の浅いうちは先ずは形からといった類の表面的な部分に気持ちが行くものです。私もその例外ではありませんでした。「なんとなく見栄えがいい。」や「小奇麗に見える。」「便利」など、端的に言えばママゴト的であったり、雑貨の延長であったりです。

お茶の知識が積まれていくうちに自ずから茶器との関係についても考えが及んでいきます。「誰でもお茶が美味しく」は入口に過ぎないキーワードなのです。その先に広く大きな知の海原が広がっています。

製品には大きく分けて2つがあります。「継続生産出来るモノ」と「出来ないモノ」。例えば、仕事として急須の製作やお茶の生産が今現在出来ているのであれば、余程の事が無い限り、今と内容が近い製品は作れる可能性が高いでしょう。
モノ売りの私が時折お話しする。「売れれば作れる。」に該当する製品です。

それとは別に環境やその他が変わり「製品」としては既に作れなくなってしまった物があります。こちらが「出来ないモノ」です。例えば現在、準備をしている30年、40年前の急須はそれに当たります。

技術的な面ではなく、原料であったり、窯のコンディションであったり。特別な何かをしたのではなく、時代や環境が背景にある製品。これは作り手の要因だけでは済まない問題も含まれます。「作品と製品の違い」に気付けている人であれば考えが届くのでは。

職人が若かりし頃に作った品はやはり「若々しさ」が製品に漂っています。多分、その当時の流行りもあるのでしょう。志のある仲間が集まり、穴窯での製品づくりが出来た頃の品など手にしただけで嬉しくなってしまいます。そんな品を拝見しているうちに、直してでも使っていきたいと感じる製品を扱おうとの気持ちに自然となっていきます。

そして、今だから継続して作れている品もいずれ必ず、作れない品になります。いつまでも有るモノではありません。お茶も急須も全てです。

便利な品と良い品は違います。良い品は必ず私たちの人生を豊かなものにします。ありがたいことに、今暫くはそのお手伝いが出来そうです。

ご縁のありました皆さま、末長く傍らにてお楽しみくださいますように。