nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

お金がお茶に向かう

お茶も急須も売れないなどと業界では言われていますが、数年前から首都圏など人口が集中している商圏には他業種の余剰資金が茶関連のビジネスへと流れているのを感じます。
 
好む好まざるを別にして、2020年の東京オリンピック開催に向けて「日本」をテーマとした有形無形の商品提案は加速します。

さて、私たちの生活や身の回りを見回した時、「日本」と言えるものは何があるのか?百貨店他の商業施設を見回した時に、これが日本的と伝えられるモノが少ない事に気づきます。クールジャパンなどと称してコミックやアニメーションなどのサブカルチャーに税金が投じられている様子もそのひとつ。
  
その中で「日本茶」は非常に分かりやすい「日本」を伝えるアイテムです。軟水の土地で楽しめる茶として自然と根付き、特殊な「茶」になっています。その土地に降った水(雨)で育ち、製造に水(水蒸気)を使い、その国の水で飲むお茶が、蒸し製の緑茶です。蒸し製緑茶の豊かな旨みと煎を重ねる毎に表情を変える風味は日本茶の大きな特徴のひとつであり、抹茶の有する歴史や文化、茶道は更に日本らしいものです。
 
情報の発信や表現を生業とする業界の人たちが日本茶に商いの目を向けるのはこの状況であれば当然なのでしょう。儲かりそうだから、売り抜けてやろうとする意志が鼻をつく事もしばしばですが、それも世の常であり繰り返しです。
私は実に面白い時代を生きているなと思っています。

今の日本茶

どの様にしてもそれなりに飲める葉を持つ植物が「チャ」です。
炙ったり、茹でたり、炒ったり、蒸したりと様々な加工が行われ、保存性が高く、いつでも飲めるようにもなっています。
 
日本においてもそれは同じです。広く販売されている蒸し製緑茶のメインストリーム以外の地方番茶の類は数多くありました。
蒸し製緑茶が主になったのは、その茶種が最も効率よく換金性が高かったからであり、必要とされる市場が形成され、それに合致するように生産が行われた結果です。
 
100年に満たない過去においては品種茶の園地などほとんど無く、日本の気候に順応した「チャ」。在来の集合体であり、茶はブレンドなどと言葉にするまでもなく、混ざったモノでした。
 
輸出や内需に向けて、市場に合致するように規格が揃えられた事はその範囲内において、品質の競い合いを可能としました。
簡単に言うなら、競技における種目を選び、その中で競い合う事と同じです。
 
その中での大きな変化は、品種の導入です。均一に揃った原料は均一な製品に直結し、やぶきたのみで製茶された製品は誰が見ても在来のそれよりも規格に沿う品質を有しました。求められたのは個性ではなく均一さです。
闇雲に品評会の茶を喜ばない程度の知識を持った方であれば理解は容易いでしょう。
  
これらの歴史を礎にして、私たちは小型の製茶機械によって作られる、極めて稀な小ロットの品種茶が楽しめる時代を生きています。その中には日本人の面よりも点を目指してしまう気質の影響も背後には感じます。
 
ただし、これは薄氷の上にいるような状態で奇跡にも等しい事です。何故なら、より換金性が高く、効率の良い方向へ、必要とされる市場に向けての原理は常にあるからです。
 
茶種として最大の生産量を誇る、紅茶のオーソドックス製法で作られる製品とローターベンやCTCで製造されるアンオーソドックスの比率を見ても明らかであり、日本においても「チャ」の乾物の工業製品化が進んでいます。ほんの少し前に起きた摘採機と製茶機械の大型化、そしてチャの食品原料化へ。
 
高価格、高品質、小ロットのシングルオリジンの仕上げ茶を販売商品の主とするような、私のする商いは明らかにマイノリティです。メジャー路線の様に沢山のお金を稼ぐ事は出来ないのは間違いなく、茶産業への貢献度は非常に少ないと自覚しています。
 
意識をしていなければ、気がつかないうちに身の回りを取り巻く様子は変わっていくのでしょう。そして、お決まりの「昔はこんな・・」の言葉が口をつくようになります。これは仕方が無いことです。
  
私が商いをしている間はその言葉を先送りに出来ればと思います。
私の性格にも合って、おかげ様で楽しい商いともなっていますので。
 

あれから4年。深蒸し茶とは何か。世界お茶まつり2013

深蒸し茶とは何かをテーマとした聞き取り調査と報告書づくり。その一環のディスカッションが行われてからほぼ4年が経ちました。
換金性を追う事が宿命である農産物のチャは飲料としての存在から粉末の食材への移行が加速しています。チャを原料とした乾物の行き先は茶業者からドリンクメーカーや加工食品関係の企業へ。これによって茶の産地による市場の住み分けは、より分かりやすい様相を呈する事が窺われます。

浸出液が結果ではなく、加工品全体がともなれば食品としての扱いが変わって来る事も近い未来にあるのでしょう。

以下は私が4年前にまとめた事柄です。既に時代の流れを感じます。

深蒸し茶とは何か?
30~40秒蒸しを標準として、標準的な蒸熱時間の5割増しから2倍程度。さらに蒸し時間を長くとったものを「特蒸し茶」という。若蒸しの場合は青臭や苦渋味の原因となり、蒸熱が長すぎると苦渋味は薄れるが、香味に乏しく、緑色があせたものとなる。
日本茶インストラクターテキストより抜粋

蒸し製法について単に蒸熱時間で説明をすること自体が間違いなのですが、それがまかり通ってこれたのは、たかがお茶だからなのでしょう。
蒸し製法に「若蒸し」「普通蒸し」「中蒸し」「深蒸し」「特蒸し」は無いのです。
生産量を減らさずに苦渋味を感じにくいお茶をつくろうとしたのが始まりで、望んだのは「蒸けたお茶」でした。
時代を席巻した深蒸し茶と名付けられたお茶の成り立ちを知ること。
まずはここから。

海外のお茶を見てもいえることですが、伝統工芸品のように作られるお茶と工業製品のように作られるお茶があります。ここに是非は無く、そういうものです。そして、伝統工芸品のように作られていたものが、工業製品化していくのも時代の流れのひとつ。
蒸し製の緑茶は今、そのターニングポイントにあります。これは、かつてではなく、「今」起きている事です。
これからの未来において、より換金性が高い製品となるにはどうすればいいのかと同義です。少なくとも飲料として、かつてのような大量消費の国内需要は起きることは考えにくい。
深蒸し茶と呼ばれたお茶がそうであったように、現状よりも美味しく、茶価の取れる製品をつくること。
その為に、深蒸し茶とは何かを考えることは蒸し製の日本茶とは何か、そして製茶とはなんなのかを考えることになります。

2013/11/8 世界お茶まつり グランシップ9階にてお待ちしています。

深蒸し茶と呼ばれたお茶

時代を席巻した「深蒸し茶」と名付けられた緑茶。静岡茶共同研究会の報告書深蒸し茶のルーツを読み直しています。

深蒸し茶のルーツはPDFでのダウンロードが可能です。お読みになりたい方は下記のリンクへ。

http://www.geocities.jp/nihonsadojuku/kyodo.html
  
・高度成長期
・人口ボーナスの時代
・人口集中の首都圏での販売
・見るモノと化した形状の茶に対してのアンチテーゼ
・日常の飲料としての茶の立ち位置と小型の急須の普及
・製茶機械の大型化(25K35Kから50K、60Kそして120K240Kへ)
・在来から品種茶(やぶきた)への改植など
 
国内販売が伸びる方向への歯車ががっちりと噛み合った結果なのだなと改めて思います。

歴史は繰り返し、そのお茶も見るモノへ、悪貨は良貨を駆逐するは世の常とも。

 
さて、手の届く過去を振り返り、需要に対しての供給の図式を考えれば粉末茶原料の生産へシフトするのが流れなのでしょう。買い先は既に茶業者である必要もなく、小麦粉などと同じく食品メーカーや商社となっていくのが道理です。同じような品質であればより安くの基準は茶業者の比ではなかろうと想像されます。
 
植物としての「チャ」を原料として「茶」とするのか「加工原料のひとつ」を作るのか。換金作物であり経営ですので、ここに是非はありません。
 
私の商いの規模やスタイルとして必要なのは「茶」ですのでこちらが商材となるだけです。
山間地での茶生産などはその立地条件などを見ても大量生産とはならないので、オーソドックスな製法の緑茶生産とならざるを得ません。
寝言のように言われていた差別化の言葉はいよいよ現実味を帯びて来ているのが今なのでしょう。

産地でのモノづくり

生活雑器として望まれ、その中で偶さかに極めて高い精度を要求され応えて来たのが常滑急須です。

常滑で急須を作ること。
 
国産の陶製急須で最大の生産量を誇る土地で急須をつくる。ベテランの職人が急須づくりを日常としている土地での新規参入はハードルが高いことでしょう。
 
使い勝手の良さを追えば、基本形はかなり狭められ、デザインの自由度は限られます。そして、殆どの挑戦は既にされています。急須は構成部品の多い焼物で、分業になっていないそれは仕事に一言ある人達がいる環境をつくります。
 
新たに急須づくりを志す人が息苦しさを感じて、そこから飛び出してしまうのもわからなくはありませんし、一般の方の優しい言葉に安心してしまう事もあるでしょう。でも、やはり踏みとどまって先人に教えられながらモノづくりを続け、自分ならではの製品を作れるようになってくれたらと願っています。
 
日常生活の中で触れられる稀有な焼物が常滑急須であること。この言葉が形骸とならずに未来に繋がればと切に思います。
 
 
以上は急須に限りません。産地でモノづくりをするという事は全て同じです。急須の文字がそのまま茶に置き換えられる事に気づかれる方も多い筈です。

昔ながらの幻想

昔ながらの方法に過大な期待をするのは一般の方か、広告などを仕事にしている方がイメージを利用して媒体作ってしまう場合が多いようです。
 
馬車から自動車、動力の人力から電化などの例を見るまでもありません。工夫と失敗の積み重ねの先に今の私たちの生活や仕事があります。

「楽に」ではなく、「もっと良い品を」。出来なかった事をやれるようにしていく。それが技術を活かすという事です。品種の導入や製茶機械に関連する様々な機器は今でしか作れない良茶の生産を可能にもしています。
 
マンパチ(蒸籠)の時代にはコントロール出来ないような一瞬の蒸熱や、パワフルな粗揉機の登場はそれまでには作れなかった茶の製造を可能にしました。
 
茶製造において製茶機械は道具であって、使うモノであり使われるモノではありません。この機械は茶葉に対して何をしているのかを理解してこそ意味が見えてきます。
 
ボタンの掛け違いが始まるのは楽をしてお金になる事へ偏った時なのでしょう。
 
これは茶に限った事でもなく、皆さんのまわりでも気づく部分がある筈です。

お茶の保管

お茶の保管に関して、茶缶はどの様なものがいいのでしょうとご質問をいただく事があります。
錫(ピューター)や銅は元より、木製、他の金属製の茶缶もあります。
見た目は良くてもダメなのはアクリルやプラスチック、ガラスなど遮光性の低いものです。これは茶袋でも同じです。

加工しやすい金属であったから作られたもの、材料として豊富であったり、流用出来る加工技術や道具があったからと考えるのが自然です。

さて、今の時代において茶の常温保管でいいのは真空断熱がされた小型のフードコンテナなどだろうと思えます。遮光性、密閉性も高く、温度変化も少ない容器だからです。

ざっと調べると値段も2000円前後ですので試されてみてはいかがでしょうか。

お茶屋としては開封後は速やかに使っていただきたいとの気持ちなのですけれど情報までに。