nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

お茶の品種をとりまく事柄~その③

茶の品種をとりまく事柄<その3>

品種は「製品」をつくる上で生産者、茶問屋などが扱いやすいことが大切でした。生産者からみれば植えた後に5年以上の月日をかけ、少なくないお金を投資して製茶したものの行き先(買い手)が無かったり、値段が安かったりすればたまったものでは無いのです。買い手も決まっていないのに未知の品種に手を出すことは博打にも等しい行為か、趣味の領域です。

流通に関わる茶業者は荒茶の欠点を見抜き、必要な原料を適した価格で仕入れようとします。その仕事上、土地に縛られた生産者以上に多産地、多種類の茶を目にしていることが多い者もいます。

品質は茶の外観から摘採や製造の様子がわかります。葉の硬化や製造に問題が発生すれば色艶はくすみ、特に茎は繊維化が進んでいれば白くなります。外観での印象が悪い製品は高い価格での評価はされ難くなるものです。摘期を逸した場合には必ず外観に現れます。その結果、摘期の短い品種は値段を取りにくくなりがちになってきます。外観の面でも適期が長い品種である「やぶきた」以上に扱いやすい品種は限りなく少ないのです。

品種の香気や滋味についても大事ですが、それよりも極早生、早生、中生、中晩生、晩生など出来るだけ長い期間で摘期摘採が行えて工場の稼動日数が増やせること、病気、害虫などに強くて収量があることなどが着目がされます。品種の多くは消費者の嗜好などといったあやふやで不確かなものを主眼において選抜されてきたものではなく、経営的にプラスになること「儲かるかどうか」が最も重要だったのです。

お茶の品種をとりまく事柄~その②

茶の品種をとりまく事柄<その2>

高価格で売れやすいのはどんな時でしょう?手っとり早いのは茶期が早く世の中にまだ新茶が出回らない時であれば売れていきます。買い手からすれば選択肢が無い状況でもあります。高い=高品質ではない。その後は時間とともに生産量増えて、必要とする内容と品質が釣りあえば行き先が決まっていくようになります。早生品種導入や加温(ハウスやトンネルなど)による促成栽培をする理由は早いタイミングで高く売れる時に市場に製品を投入したいからです。

全国に目を転じてみて、温暖な地域での茶生産が有利な理由は茶期が早いという部分が大きいのです。生産が早く始まるということは、価格が下がるのも早いということになり、後発の産地が生産を始めた際には価格面でも有利に展開が出来ます。

茶の生産というのは単位面積当たりで得られる収入を計算して行われるもので、お茶が高くても、安くても得られる収入は変わらないようにしたいのです。高価なものを少量か、安価のものを大量にかの掛け算をし、つまり、茶期の早い品種や摘期が長く品質が悪くなりにくい品種が重宝されるようになります。

やぶきたは現在、生産量が最も多く「中生」となっていますが登場した時は「早生」の品種でした。茶期が早く、芽の硬化が緩やかで摘期が長く品落ちがしにくいことは、芽が不揃いな在来種の製品が多かった時代には夢のような品種であったでしょう。やぶきたの導入が遅くなった産地において、やぶきたの苗が手に入ると聞いた生産者が「ああ、これでやっといいお茶がつくれる。」と言葉を発したそうです。

飛び抜けた個性がなく、清涼感のある香りと旨味、火香とのバランスの良さ(これらは摘期が長い特徴に関係する。)は茶問屋にとっても都合がよかったのです。
高度成長期を経て人々は豊かになっていく時代。輸出作物から国内消費へ。生活が豊かになると人は鮮度感のあるものを好むようになる傾向があり、和食とも相性がよく、多くの人が素直においしいと感じるものだったはずです。

生産者と加工流通業者、消費者のニーズが一致し車輪が回っていきました。やぶきたの栽培面積が広がっていったのには理由があったのです。~続く~

お茶の品種をとりまく事柄~その①

茶の品種をとりまく事柄<その1>

良い機会なのでお茶の品種がどうして単品で世に出て来にくいのかを文にしてみることにします。一般の方が思い浮かべる農作物の品種と「茶の品種」についての実際は異なっているのだろうと思うのです。

茶の品種について考える時、「茶」が工芸作物※1という農作物であることを忘れてはいけません。

茶は栽培と加工技術が「製品としての品質」に大きな影響を及ぼし、採ってそのまま食べられる作物とは異なる部分です。結果として育てにくく製茶が難しい品種は嫌われることになります。現在、やぶきたが全栽培面積の8割近くを占める理由は摘採適期が長く、製茶がしやすいからに他なりません。やぶきたは他の品種と比べて作り手に都合がいい品種だったのです。茶も他の農作物と同じく換金作物であるので生産者にとって品種は何であれ「高く売れること。」が一番重要になってきます。

実際、やぶきたよりも高く売れる中生、及び晩生の品種は稀な存在です。やぶきたより早い品種が高く売れるのは、やぶきたがまだ摘採時期をむかえていないからとも言えるのです。

~続く~

さて、茶業者にあったら訊ねてみるとしましょう。ところで、あなたはどんな急須でお茶をいれているんですか?と。

「急須の無い家庭が増えた」や「茶葉を使わなくなった。」といった嘆き節のような言葉を私の業界では耳にします。ペットボトルばかりでなんて話も合わせて。

お客さまや世の流れみたいに聞こえますが、それは間違いです。この状況は嘆いている人が作ったのですね。資格も必要無く、誰でも始められて「儲かる商い」であった茶販売。茶がどのように出来たかなどの知識を必要とせず、好き嫌いといった売る側の個人の嗜好で商売が成り立つのは供給よりも需要が上回っている時だけです。その延長に今があります。

私がお茶屋を始めた20年近く前は、こんな儲からなくなった時になぜなんてと言われたものでした。でも、始めるにはいい頃だったと思っています。売れない時ほど人は「なぜ」を考えるものです。

歴史を振り返ると茶販売の大きな流れは正直、褒められたものではありませんでした。エポックとなるような素晴らしい製品づくりとそれに便乗する模造品や粗悪茶の歴史です。それは今でも見え隠れします。

急須でお茶をと口にする人達が使う道具のお粗末さ。いれる道具に関しての不勉強はお客さまからも見えていることでしょう。

茶消費の大きな部分は日常茶であり、番茶でした。安価で常に傍らにあるお茶。現在はその地位はペットボトルが得ています。ペットボトルが安価なのかと言われるかも知れませんが、お茶をいれる手間までも値段にするのであれば安いのです。

品種茶の用意も単品で多種類が可能になり、精度の高い急須も手ごろな値段で買える時代になりました。お茶をいれることを楽しめる時代の到来。茶を扱う側の者がそれを活かさず、茶器に気を配らなくて誰がするのでしょう。

粗末な道具で「急須を使って」や「茶葉を使って」などと言うのは無理があります。少なくとも茶を生業とするのであれば、もうそろそろ手元にある急須について考えてみて欲しいものです。お客さまではなく、先ずはテーブルのこちら側から。
 
さて、茶業者にあったら訊ねてみるとしましょう。ところで、あなたはどんな急須でお茶をいれているんですか?と。

日本茶を海の彼方へ。日本に来て良かったの言葉を世界に。

2012年睦月、一週間のフランスにての仕事も最終日。

ベッドから起き出して身支度を始める。黒のシャツにスラックス、インストラクター証が胸についたベストを羽織る。ポケットの中の茶匙がたてる金属音。

硬度高い水道水のせいでキシキシいう髪に手ぐしをいれてバンダナを頭に巻く。

16区のホテルから地下鉄で移動しノートルダム寺院を見ながらセーヌ川を越える。最初は巨人の国へ来てしまったのかと錯覚するようなバカバカしく大きな建築物にも見慣れた

市役所前のスケートリンク、その前で回るメリーゴーランドに一抹の寂しさを感じながら近代美術館近くの店舗へ。

開店に向けて準備をしていると興味深そうに覗きこんでくる好奇心旺盛な人々。

眼があって笑顔で頭をさげると扉を開けて「日本茶、好きです。いつからオープンなんですか?」と楽しげに尋ねる顔。

「まだ、準備中なんだけど時間があったら少しお茶飲みますか?」に「ウィ」の返事。

電気ケトルのスイッチをいれてから「どんな味のお茶を飲みたいですか?」と、お茶の好みをきく。

ベストのポケットから取り出した茶匙で茶葉をすくって急須へ。ケトルからお湯が沸いたことを知らせるメロディーが流れる。湯冷ましにお湯を注ぎ、湯呑みへ。湯呑みを手にとって温度を見たら急須へ。
 
手を動かしている間に重なる言葉。「彼女も日本茶が好きで」や「息子が日本のこと興味を持っているんだ。」とか「近くでカラテを習っているんです。」など。
急須を傾けてお茶をつぐとふわりと香る匂い。
「どうぞ、お茶がはいりましたよ。」
「メルシィ」
小さな白磁の湯のみが口に運ばれる。
パッと変わる表情。綻ぶ笑顔。
「こんなに美味しいお茶は初めてです。」
「感動しました。」
の言葉。

私にとって何ひとつ日本と変わらない光景。
そして、その事を知ること出来たのが何よりの収穫。

さようなら、パリ。
私は去りますが、お茶は残ります。
 

あれから数年の月日が流れた。
海の向こうで美味しい日本茶が楽しめるお手伝いをしよう。
日本に行ってお茶を飲みたいと思う人が増えるように。
そんな想いが去来する師走。

誰でもお茶が美味しく?そんなのただの入口ですよ。面白いのはその先です。

私はお茶と茶器を扱いながら商いをさせていただいております。何事にも言える事なのですが、見識の浅いうちは先ずは形からといった類の表面的な部分に気持ちが行くものです。私もその例外ではありませんでした。「なんとなく見栄えがいい。」や「小奇麗に見える。」「便利」など、端的に言えばママゴト的であったり、雑貨の延長であったりです。

お茶の知識が積まれていくうちに自ずから茶器との関係についても考えが及んでいきます。「誰でもお茶が美味しく」は入口に過ぎないキーワードなのです。その先に広く大きな知の海原が広がっています。

製品には大きく分けて2つがあります。「継続生産出来るモノ」と「出来ないモノ」。例えば、仕事として急須の製作やお茶の生産が今現在出来ているのであれば、余程の事が無い限り、今と内容が近い製品は作れる可能性が高いでしょう。
モノ売りの私が時折お話しする。「売れれば作れる。」に該当する製品です。

それとは別に環境やその他が変わり「製品」としては既に作れなくなってしまった物があります。こちらが「出来ないモノ」です。例えば現在、準備をしている30年、40年前の急須はそれに当たります。

技術的な面ではなく、原料であったり、窯のコンディションであったり。特別な何かをしたのではなく、時代や環境が背景にある製品。これは作り手の要因だけでは済まない問題も含まれます。「作品と製品の違い」に気付けている人であれば考えが届くのでは。

職人が若かりし頃に作った品はやはり「若々しさ」が製品に漂っています。多分、その当時の流行りもあるのでしょう。志のある仲間が集まり、穴窯での製品づくりが出来た頃の品など手にしただけで嬉しくなってしまいます。そんな品を拝見しているうちに、直してでも使っていきたいと感じる製品を扱おうとの気持ちに自然となっていきます。

そして、今だから継続して作れている品もいずれ必ず、作れない品になります。いつまでも有るモノではありません。お茶も急須も全てです。

便利な品と良い品は違います。良い品は必ず私たちの人生を豊かなものにします。ありがたいことに、今暫くはそのお手伝いが出来そうです。

ご縁のありました皆さま、末長く傍らにてお楽しみくださいますように。

「眠る時間が欲しかったら紅茶を作りなさい。」「お金が欲しいのなら烏龍茶を作りなさい。」

「眠る時間が欲しかったら紅茶を作りなさい。」「お金が欲しいのなら烏龍茶を作りなさい。」

これは以前に台湾茶に関してのお話しで耳にした言葉です。製茶について少し真面目に考えた事がある人なら合点がいく事でしょう。烏龍茶としてのキャラクターを持つ茶を作るには数時間ごとの作業が必須になる事をさしています。

茶製造は茶葉内の水分が減っていき、水が表面に出にくくなるのに、浸み出してくる水分と乾いていく水分をバランスさせる作業の連続です。

日本の蒸し製緑茶において蒸熱から始まる一連の工程が機械化出来ているのは、その状態を維持するように設計がされているという事です。大事なのは各工程の機械に正しく仕事をさせる。一例で言えば、粗揉機の仕事を中揉機にさせないようにする。

その為に粗揉機から揉捻へ行く際、中揉機から精揉機へ行く際の取り出しの際のタイミングが重要になって来ます。その見極めが蒸し製緑茶の製茶における生産家の技術のひとつです。

かといって、何度も、何度も手をいれて確認するのはいけません。手で取って機械の外に出たお茶は機械の中にいるお茶とは変わってしまう事になり、乾燥が揃わなくなる元です。
精揉機に張り付いてお茶を何度も何度も触ってしまうのは製品の価値を下げている事に他ならないのです。

さて、茶葉のような構造をしたモノが同じ環境に置かれていてはリニアな乾燥など出来る筈が無いのは殆どの方は想像がつくでしょう。熱や圧力、風などのストレスを与えなければ不可能です。

烏龍茶製法の茶は自然環境(気温や湿度)の影響が激しく、各工程においても生産者の五感による判断と手作業が発生します。つまり、機械化出来ていない製茶であり生産サイドの負担は製茶ラインで作られる茶の比ではなく、それはそのまま製品の誤差に直結し、安定した品質の維持が困難である事を意味します。

製茶に時間が掛かり、出来上がるまでの時間が読めない茶種が烏龍茶です。その茶を製茶機械での生産に慣れた者が出来るようになるには並大抵の事ではありません。巷に出回る「国産 烏龍茶」と名付けられた茶の品質がお世辞にも是と言えないものが多いのには理由があっての事なのです。