世界の端に
もう急須でいなくてもよい時代を作れたらいいよね。
とてもカッコよくて、手にしたくて、欲しくなるような。そして、お茶をいれたら当たり前の様に使いやすくて。それでいて使うのがどこか勿体ないモゾモゾする気持ちになるみたいな。
きっと、私達はその世界の端に立っていると思うんだよ。
令和三年、そんな話をしている年です。
2020年
終わり良ければ全てよし。
令和二年師走。お客さまとのやり取り。
最近のお茶は香りが無くなってしまってとのお声に対して。
そうですね。お茶を取り巻く様々な環境が変わりましたからね。昔と同じにはならないですよ。
ただ、昔には無かった香りの品種茶も出来ていますから。まあ、試しなのか騙されてなのかですが、一度このお茶をと香駿をお勧めしました。
そうねと半信半疑でお買い求めくださったのが昨日。
そして、私の前にやや小走りでいらして、勧めてくれたお茶、美味しかった。これだって思ったと明るい声でまとめてお買い上げに。
時節柄、マスクで声はこもりがちで表情も目のまわりしか見えないけれど、お客さまの喜ぶ様子が十分に伝わって来ました。きっと私の笑顔も。
ただ美味しいだけではないお茶を伝えたいとの信条で続けて来た甲斐があったと思える出来事のひとつ。
大変な年ではあったけれど、終わり良ければ全てよし。
明日は大晦日。最後まで精一杯頑張ります。ありがとうございます。
碧眼の後進へ
チャンスがあるなら一番良いものを見た方がいい。取材であるかどうかを私は気にしない。いつものようにする。それでいいだろう。
ならあの山の茶園へ行こう。そこでお茶を飲もう。君が初めて見た年よりも今年の園は素晴らしい。そういえば、あの園地のお茶の木達はきっと君と同い年くらいの筈だよ。
今はお茶の知識や経験は私に届かないけれど、必ず私以上のことが分かるようになり出来るようになる。
ちゃんと学び、そして、分からない事が苦しくとも、分からないまま諦めずに重ね、今ある部品で仮説を組み上げてみる。そして信頼出来ると思えた人にその仮説を尋ねてみることだよ。尋ねられた者なりの知識で仮説を考えてくれるだろう。それはお互いのためでもあるんだ。重ねた何かが間違っていたら、固執せずにそれを崩す事を恐れないこと。それを繰り返すんだ。何故だろうの気持ちを常に持って。
君が分からないと思ってる以上に、私の方がきっともっと分からないと感じているよ。お茶とは知れば知る程に、分からない事が増えるものなのだから。
私が君に期待しているのは、お茶で君自身が幸せになって欲しいという事しかない。そして、茶を通じて君が君の回りの人、縁がある人を幸せに出来るように。
そのためには協力するし、知識も渡そう。それが先に生を受けて学んできた者の当然の役割であり、生きるということなんだ。
外国人であるかどうかではなく、人としてお茶のことを知ろうとして一生懸命だから私はそうするんだよ。
かつて、先人が私にしてくれたように。
21世紀、日本茶の新しい扉は開いたばかり。お互いに学び、頑張ろう。そして、もっとお茶を楽しもう。
大袈裟かもしれないけれど、人生をかけて楽しめるのがお茶だよ。それだけは間違いない。
一番美味しいラーメン
コーヒーは喫茶店にある「高いモノ」だった。子供の頃、母が買ったインスタントコーヒーにクリープをいれて飲んだのを思い出す。自分にとって身近なコーヒーやプリン、ラーメンはみんなインスタントだった。
忙しそうにしている母が時折、アルミのカップにプリンを流して冷蔵庫で作ってくれた。粉のカラメルを溶いてプリンに掛けて一緒に食べた。
何かの折に連れていってもらった喫茶店で食べた本物のプリンの苦さに顔をしかめた。家のプリンの方がいいと。
時間の無い中で作ってくれた塩ラーメン、インスタントラーメンが身体に悪いことは承知しながらも、少しでもバランスよくとキャベツを刻み卵を一緒に煮てくれた。一番美味しいラーメンは子供の時に食べたインスタントの塩ラーメンかも知れない。
大人になり経験を積み、取捨選択が出来る中でむしろいい思い出のひとつになっている。健康中毒の人が語るような害は無く成長したし、特に大きな疾患もなく困ってもいない。結局はバランスなのだろう。
そのバランスが人ごとに違うのは厄介ではあるけれど。
あの一杯
私が初めて、ここまで変わるのかと驚き、その理由を尋ねた飲料は何か?
私を知る人はお茶かと思われるかも知れませんが違います。
それはビールでした。
横浜での仕事を辞め、静岡に戻ってから行ったビヤホール。
ビールは居酒屋でワイワイと飲むお酒で特に難しく考えたこともありませんでした。
びっしょりとビールで濡れたジョッキ、のど越し、味わい。お店の什器や料理よりもその一杯のビールに驚きを覚えたのを今でも思い出します。中身は特別なビールではなく、業務用のアサヒスーパードライ。それまで、余り印象の良くなかったビール銘柄だったのも驚きに繋がりました。
既存の商品と単純な注ぐ行為でここまでの違いが生み出せるのなら、お茶をいれる行為にも出来ることは沢山ある。酔っぱらった頭でそんなことを考えるようになるのに時間は掛かりませんでした。
ビールを注ぐ方は決まっているようで、とても美味しいですと伝えると、美味しく飲みたいならタンブラーがいいですよ。と教えていただきそれからはジョッキではなく、タンブラー一本鎗でした。
人が来るとこのビヤホールか交差点のとんかつ屋に行くかどちらかだったように思います。ビヤホールでは注いでいる様子をじっと見ていたものです。
高齢になったオーナーの意向で閉店を知った時は週に何度も足を運び、お会計の度に何が違うのかを尋ねました。答えは到ってシンプルなことばかりでしたけれど。
あの一杯が無ければひょっとしたら、今の私はいないのかも。いや、きっと人生なんてそんなことの繰り返しなのでしょうね。
オンライン日本茶勉強会
オンライン日本茶勉強会「日本茶なんでも質問会」、毎週金曜日午後9時半~40分間開催しています。主にZOOMを使用しています。
今回で18回目です。参加条件は「日本茶を飲みながら」
多い時に80名、平均約40名程度の方がご参加くださっています。
食事などの時間ではなく、これまでお茶を飲んでいなかった時間に日本茶を楽しんでいただけるのも開催していてよかったなとも思います。
平成30年の資料で年間の日本の緑茶購入量はひとり当たり、268g。
性善説に則って考えれば、急須一回 5g×40人 で40分間に200gの茶葉が使われていることになり、18回ですから 3.6㎏のお茶の葉が使われたことになります。
私より人徳があり、楽しくためになるお話しが出来る方は星の数ほどいることでしょう。イベントなどではなく、継続してこのようなアクションが広がったらいいなと素直に思います。
写真はお客さまがご参加の様子を撮影してお送りくださったものです。ありがたいですね、本当に。
人は大人になる事を希求し、それを成さねばならない
人は経験と齢を重ねた時、次世代を育てる役割を持つ。そうなれるように生きるのが人であると信じている。
先人、先輩諸氏に自らが未だに教えられ、庇護されているとしてもだ。その庇護に感謝しながら、先達が口にするキサマ如きがとの指導も飲み込みながら届かぬ未来に繋がる何かに取り組む。
それは先人の知と想いを繋げる事だ。
全ての人において、未来は確実に減じ、終焉を迎える。それは常であり覆される事ではなく、覆していい事では無い理。
齢を重ねた者が自らを子供だなどと言うのは卑怯者の言い逃れ以外の何物でもない。
人は大人になる事を希求し、それを成さねばならない。その事について及ばぬとの自覚があったとしても歩むのだ。
明日、この世から消えるとしても先人から渡された何かを次に伝えられる存在となろう。叶わずともそうであろうとしながら。
それがそれこそが人の使命だ。