nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

人それぞれに

縁のある中でお茶についての事柄を伝える事が何度となくあります。

私は全ての人に平等に教えるような事はありません。
仕事での取引先には取引先として。
セミナー形式を取る場合はお客さまを対象に呈茶や資料なども準備してサロンのように。
催事などでは商品説明の延長にプラスして。

時間は3分以内と言われれば3分で。6時間と言われれば6時間の内容で話せます。

言葉にしてしまえば何故そんな事に気が付かなかったのかと思うような事ばかりです。

お茶だから特別なのではなく、起きている物理的な現象は普遍的なのです。共通項を探しなぞらえてみる事。この程度の事で深いなどといった抽象的なところへ逃げないように。

本当の難しさや深さ、広さはその先にあります。学ぶほどに自らの浅学に気づき、大きな湖の畔にやっと立てている事を感じる日々です。さあ、いよいよ新茶シーズンも本格化して来ます。
今年もさらに一歩。
及ばぬ事を知りながらも前へ。

してやったり

お茶と急須は両輪の間柄ですので急須のご紹介もしています。中でも近年の注目株の平型急須は好評です。平型急須は常滑で不出来なコピーも出始め、してやったりの気分です。

さて、様々な意味合いやコンセプトが織り込まれた常滑焼平型急須。
一般の方はその低く底面が平らな形が気になる急須ですが、写真の様な茶葉を見る姿に既視感を覚えるのは茶業者の方々でしょう。

そう、審査道具の拝見茶碗(審査茶碗)です。

炻器の特徴や浸出条件は勿論ですが、意識したのは「茶葉を見やすいカタチ」です。コンセプトの中にあるひとつ、それは拝見茶碗の様に。湯のなかで見られる三次元の立体的な景色。
お茶を見る、拝見するのはお茶の面白さ楽しさを知ることにも繋がります。

お茶をもっと楽しく、美味しく、面白くこそが平型急須の大きなテーマなのです。

 


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品種茶やシングルオリジン

シングルオリジンや品種茶と言われますが、その内容を担保するのは生産者の申告が根拠になっています。
 
例えば、生産者が繁忙期などで混乱し、意図せずとも異なる品種を「香駿」としたら、それが香駿でなくとも「香駿」としてまかり通ってしまうものです。
 
そして、品種は香駿であっても製造による差異は必ずあります。天候や摘採期や摘採方法、製造まで含めて生まれる「差」です。その「差」も含めて「香駿」として売れる品質や特徴を有していること。
  
園地で特徴があろうとも、乾物の状態になった茶は外観および内質の拝見の経験がある者でなければ判断に窮することでしょう。

茶園で「香駿」である事は勿論ですが、製品としても「香駿」になっていなければお話しになりません。品種の特徴も含めて内容を担保すること。これは何も香駿に限らず、シングルオリジンや品種茶とした販売を行うのであれば、売る者に課せられた責任のひとつです。

しめしめ

最近の若い人はお茶を飲まないと語る年配者がいます。急須を持っていない家が増えたとも。
 
最近ので始まるこの言葉が出るようになったら心が年を取った現れ。

若い人はお茶を飲まない。そんな事ありません。生まれた時からペットボトルのお茶が当たり前に存在した世代が大人になり、販売のデータでも茶系のドリンクは盛況です。身銭を切ってお茶を買い、いつでも傍らに茶を持つ世代です。常に傍らにある茶こそが番茶です。湯や水以外の飲み物の立ち位置の飲料。ペットボトルは現代の番茶です。
 
ペットボトルなんてお茶ではないといい、急須をと言いながらそれを急須と言うには憚られるような品を使っている事に気づいていない人たちはどのくらいいるのでしょう。
 
次の世代、デジタルネイティブの人達が大人になる時にお茶をいれる行為、それを楽しむ行為がもっと必要とされる時が来ます。人なればこそです。
  
急須を持っていない。しめしめ、それはありがたい事です。必要とした時に無いのなら手にいれよう、買おうと思うのですから私の様なモノ売りにとっては好機到来。そして、どうせなら値段分よりも良い品をと。
 
21世紀の今、数多くの品種が楽しめて、精度の高い急須がまだ手にいれられる時。
 
先達は後進に道を示すのが役割です。
世代を越え、人種を越えて、まあ、お茶でも飲もうと手にした道具はその人の心を現しているように思います。
日本はお茶を作れる国です。そして、稀有と言っても過言ではないようなお茶を産しています。
 
道なんて意識する必要はありません。目利きになってお茶も道具ももっと楽しみましょう。それをしないのは勿体ないことです。 
 

ハンドメイドの意味

時折、「手摘みのお茶はいいのですか?」とご質問をいただきますが、正直に言えば手で摘まなければ出来ない摘採の精度(製品に則した原葉の手配をする。)または栽培をしているのでなければ、値段分の品質ではマイナスになる事の方が少なくありません。

手摘み=(イコール)良茶ではないのです。

趣味の領域ではない「製品としての手づくり」とは、「手でなければ出来ない仕事と精度」があってこそ意味があります。手で作った品は「手の跡」が残ります。これは目で見える形やキズではなく「仕事」という意味です。

手で作ったからいい品が出来るのではありません。熟練者の技をもってしていい品物が出来るのであって、手で作る事自体には意味はないのです。むしろ技術の無い者が手づくりをすれば機械製以下の品になって当然なのです。

機械には道具の延長として使われる物があります。特に製茶機械など機械というようりも道具に近いシロモノです。正しく使えなければ製品の品質に直結するのは言うまでもありません。

品物を見てブランドや値段ではなく「凄いなあ、よくもまあ出来ますね。素晴らしいです。」と分かる事。その品を手に出来る喜び。見た目のの好き嫌いではなく、その品物がどうやって作られたのかを知ることは人生を楽しくします。

売らんが為の言葉に翻弄される事なく、多くの方が目利きになれたらいいなといつも思っています。その第一歩にお茶は最適な品のひとつです。

コーヒー、プリン、インスタントラーメン

コーヒーは喫茶店にある「高いモノ」だった。子供の頃、母が買ったインスタントコーヒーにクリープをいれて飲んだのを思い出す。自分にとって身近なコーヒーやプリン、ラーメンはみんなインスタントだった。

忙しそうにしている母が時折、アルミのカップにプリンを流して冷蔵庫で作ってくれた。粉のカラメルを溶いてプリンに掛けて一緒に食べた。
何かの折に連れていってもらった喫茶店で食べた本物のプリンの苦さに顔をしかめた。家のプリンの方がいいと。

時間の無い中で作ってくれた塩ラーメン、インスタントラーメンが身体に悪いことは承知しながらも、少しでもバランスよくとキャベツを刻み卵を一緒に煮てくれた。一番美味しいラーメンは子供の時に食べたインスタントの塩ラーメンかも知れない。

大人になり経験を積み、取捨選択が出来る中でむしろいい思い出のひとつになっている。健康中毒の人が語るような害は無く成長したし、特に大きな疾患もなく困ってもいない。結局はバランスなのだろう。
そのバランスが人ごとに違うのは厄介ではあるけれど。

作る人、売る人、買う人

常滑の急須を作る方たちとご縁が出来て、18年近くになります。その分、皆さんも歳を重ねて年齢は60代後半から70代後半に。

自らを職人だからねと笑う人たちが作り出す品は、作家を語る人たち以上の物ばかりです。粘土を原料とした手作りとは思えない精度。部品の変形が大きくとも、数が作れる轆轤製法によって作られる急須。たたら製法では作れない数である事は少し急須の事を学んだ人であれば頷かれることでしょう。そのおかげで手が届く値で作れる、今でも作れているように思います。

もう自分の好きな物を作りましょう。それをしていい人で年齢です。焼き物となった急須は大事にされれば、私達の寿命の何倍どころではなく世に残っていきます。
いいなあと清々と笑える物を。
私がいつも話す事です。

作る人、売る人、買う人が笑っていられるのが常の商い。私のしていきたい事のひとつです。