nishikien’s blog

お茶に纏わる事柄をつらつらと。

お茶と急須は同じもの

2014年2月に平型急須の主力展開を始めて、概ね4年です。手づくりの品故に、大量にとはなりませんが、同コンセプトの総生産は数千個です。作り手ほか販売に携わる取り組み先、そしてお客さまのおかげです。
販売数の噂や視覚面での訴求力も相まってか、類似品も出回るようになりました。それも業界の常であり良いことです。他の方々も私たちの試みをヒントにして更に良い品を世に出していく工夫をなさってくださればと思っています。
 
作り続けることは常に最良を目指すことです。ベテランの急須職人であっても慣れない面倒な形状の急須ですが、生産と販売を繰り返し続けていく中でサイズや全体のバランスが洗練されるのを品物から感じます。
そして、正に一期一会である焼物としての美しさにも気づきます。
  
高精度の仕事と人の手が及ばない偶の結晶である急須と、高品質を目指した生産を重ねていきながらも、野趣を失わない日本茶
私の心が動き、真剣になるものの本質はどちらも同じです。
 
それらをお客さまが普通の日常で楽しめる世界をつくる手伝いが私の商いなのでしょう。
小さな商いですが、とても楽しく、やりがいのある仕事が出来ています。本当にありがたい事です。
 
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お茶は正直

時折、お茶は拝見で分かるのですかとの質問があります。
 
お茶は正直なものですので、拝見をする事によってどのような原葉で、どんな事があったのかがわかるものです。
 
果汁を原料にした飲料や粉体化されたものに比べて、茶葉そのものを見る事が出来る茶はその正体を探るヒントがいっぱいあるのです。
 
勿論、わかるようになるには園地を見たり、摘採された茶葉、そして荒茶が生産される様子を知らなければなりません。茶園に行き、製茶を見れるような縁を求める手間を惜しんでは不可能です。

日本茶を学ぶ君へ

先人が後人に望む事は何か。

それは自分の見れなかったもの、行けなかった場所、出来なかった事にたどり着けるように。そして、長命であるように。

この事に尽きる。後人もいずれ必ず先人となり、知の連結は更に次の後人の役にたっていく。

先人は若さを妬まないこと。後人は霞む未来に怯まないこと。

この連鎖こそが人を不死とする。

荒唐無稽な戯言ではなく、人が学ぶ事の意味であり、真理だ。

 

好機到来

先日の常滑行きにて。

綾鷹は急須でいれたお茶を上に考えているんだなあとの会話となりました。

そして、お茶の特集本を読んで、お茶の事を色々と飾って書いているけれど、ちゃんとした急須を使っているところが少ないとも。

常滑だけでなく、茶の生産現場であっても仕事はこんな会話や交流の中にあります。時間がゆるせば茶をいれながら。

かつて、茶を介して、陶工、淹れる人、飲むことの工夫のやり取りがされていた時代がありました。文人と茶の時代であり、きっと時を遡った利休と茶もそうであったろうと確信しています。

戦後の互いに作れば売れる時代を通ってしまったが故に、その交流は途絶えてしまったように見えましたが無くなってはいません。

少なくとも私のまわりにおいては。

茶についてを少なからず知る者達と急須を作る者達の交流によって、更に次を目指して急須が生まれていく環境はより精度を上げて今に至っています。茶と急須は両輪の存在です。

何事も始まりは世界の片隅から。好きであること、情熱を燃料にして車輪は回るのです。正に好機到来。何と面白い時代なのでしょう。

スウェーデン人 オスカル ブレケルさん

北欧スウェーデンに生まれ、高校時代に日本の歴史文化に興味を持つうちに日本茶に触れ、その魅力にひかれて日本茶知りたいが為に、日本語を学び、合格率が25%の日本茶インストラクター資格を取得。
折角、就職した会社を辞してまで、茶業試験場で研修生として学んだ後に、日本茶輸出促進協議会のスピーカーとして世界を飛び回った2年間。
そして、独立して新たな歩みを踏み出した2018年半ばでの日本茶の楽しみ方を伝える書籍出版。

これは物語やフィクションでは無く事実です。

人種を越えて、茶業に関わった家業に生まれたわけでもないのに、こんなにも日本茶に向き合おうとしている人はいないのでは。

外国人が日本人に対して、日本茶のいれ方の本を書いたのはこの書籍が初めてであり、これはエポックなのでしょう。実に清々しい気分になります。

日本茶は不変ではなく、時代の流れと共に姿を変えて行きます。まだ若い氏が数十年をかけて日本茶を見つめ、その変化を文字や言葉に記して後世へと繋げていく様に私たちは接しているのです。

おめでとうございます。そして、ありがとうございます。
これからの一歩は前人未踏の一歩です。その道行きが幸多きことを心から祈っています。

 

世界文化社

オスカルブレケル著

ゼロから分かる日本茶の楽しみ方

2018年6月8日発売


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好きな仕事、仕事を好きになること

お茶屋になった人と生まれた時からお茶屋だった人。どちらも苦労はありますが、売れてた時お茶屋に生まれ、そのまま後を継ぐと、既に仕入先や卸先を含めた売り先があり、お茶では無く「モノ」になってしまうのだろうと感じる事があります。
 
生産者も同様で、元から生産者の家に生まれ、作業や機械の使い方は分かっても、何が起きているのか又は製茶の理屈がわからない生産者も少なくない時代。
 
これはお茶に限ったことでもなく、「売れた時代」の次に来る事です。一世代前の顧客とマーケットによって成り立っているのでしょう。売れている時代が続いていれば全く問題はありません。作る側と売る側も万々歳です。
 
そうでなくなった場合にはどうするのか。やはり自らの扱う物についてを学ぶところからが重要です。
ルーチンワークとはしない。起きていることについて考察をする。栽培であれ、製造であれ、販売であれです。扱い品をただの「モノ」として見ないこと。その中でそのモノの歴史を学ぶ事も必要です。歴史から売らんが為の情報や言葉を漁るのは愚の骨頂。
 
分かろうとする事、学ぶ事。それは好きな事であれば出来ます。結局は好きな事を仕事とする。または仕事を好きになる。それが起点なのでしょう。

高い安い、美味しい不味い、好き嫌い

品質と値段の整合性がわかるようになる事が目利きになる事です。

自分の財布の厚さで判断をするのが目利きではありません。

値札だけを見て、高い安いとするのはある意味で、美味しい不味いや好き嫌いといった個人の勝手な感想を言っているのと同じです。

何故、その値段なのか、その価値があるのかはやはり、どの様に作られているのかを知る事が起点です。
全てのモノの品質に通じるなどというのは不可能ですが、シンプルで人の手によって作られる良品には多くに繋がるヒントが潜んでいます。

故に工芸作物である茶や常滑急須のモノづくり
はうってつけだと日々思う次第。

その値段だから作り続けられる事、それこそが正しい値付けです。